日本が中国を心から尊敬し、学ぼうとしてきた期間は長い。
それなのに今は…。とてもじゃないけど尊敬の念を抱くのは無理。
儒教の五常(仁・義・礼・智・信)とか、どこ行っちゃったの?
中国を儒教の国と考えるのがそもそもおかしくて、
道徳的に壊れているから、道徳を訴える儒者が現れたのかな。
中国史には儒教の弾圧もなんか目につくし…
- 秦の始皇帝期の焚書坑儒
- 文化大革命期の批林批孔運動
もしかすると江戸時代に儒教の本場は日本へ移転してるのかも?
徳川幕府は中華秩序に乗っ取って、国を安定させようと務め、
儒学者、藤原惺窩や林羅山を招いて政治思想に取り入れようとした。
(日光東照宮に日本よりむしろ中国を感じるのはこのせい?)
その矢先、漢民族の王朝「明」が異民族「清」に滅ぼされてしまう。
中華秩序の本場の崩壊は、幕府にとって一大事。
そんなとき現れた儒学者が山鹿素行。
明が滅んだなら、今後は日本が「中華(=世界の中心)」なのさ。
そもそも天皇制が途切れることなく続いている日本は、
異民族(元や清)で途切れている中国より正当派じゃないか。
なんて発想の転換を著書「中朝事実」に記したんだとか。
たしかにその後、幕末から明治に西郷隆盛や渋沢栄一、
昭和には安岡正篤と儒教に通じた偉人が思い当たる。
知らないうちに儒教の心は日本が受け継いでしまっていた。
なんてことを書いているうちに、ますます分からなくなった。
日本が尊敬していた中国とは一体何だったのか?
コメント
中国は、広大な国。その中では、異民族もあり、気候風土もまったく違う。そんなところを治めるなんてとてもとても・・・。
というなかで、どんな為政者なら治められるの?という感じかもそれません。為政者は必至で統治法を探し、それが故に発展してきた学問かと。
為政者が変わることにおいて、受ける困難は、国民(住民)にとっては大きな変動。それが故に民は、より賢く、より生き延びる方法を伝授されていく。したたかかな民が形成されていく。
このような国では新しい思想(支配のための)が次々と現れ、そのたびに「民」がそれに対応し、崩れ、進化と退廃を繰り返すのかも。
大いなる思想(支配ー被支配)の思考錯誤がなされる国、それが中国かもしれません。
日本は小さい国土が、為政者にとっては都合がよい(目が届く)大きさだったのでは。
そこに中国で揉まれた「儒教その他:何とか国をうまく治めてやろうという思想」が渡ってきたので、うまく合致できたのかな。
禅も今では日本が主流ですし、このような思想文化は閉ざされた(地形的に)国である日本がよいのかもしれません。
国のサイズですか…大きな国でうまくいかなかったものを小さな国にあてはめるとピッタリくる。なるほろです。
それからペリー来航までの日本の立ち位置
http://www.pixy10.org/archives/605872.html
というのもたぶん重要な要素なんでしょう。
あと国の適正サイズというものはきっとあるような気がしていて、近い将来、中国はいくつかの国に分裂するんだろうなぁと。