人の話に学ぶ時の心得/正法眼蔵随聞記

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「正法眼蔵随聞記」は師匠である道元の教えを弟子が書き留めたもの。
だから仏の道を歩む人たちの心構えがたびたび示されている。
もちろんそれは仏教にかぎらず、何かを学ぶ時の心得と捉えることができる。

ここでは人の話から学ぶ時の心得が示された一説を編集する。

「多分法を聞く時、先づ好く領解する由を知られんと思ふて、答の言の好からん様を思ふほどに、聞くことば耳を過ごすなり。」

師匠の教えを聞くときに、自分が賢いことを示そうとして、
気の利いた受け答えをしようと考えながら聞いているものが多い。
その結果、聞いている言葉がしっかり頭に入ってこなくなってしまう。

これはよくありがち。
私自身も取材などで自分が話をする立場になってから気がついたこと。

やたら相づちが多い人に話していると、だんだん話す気力がなくなっていく。
自分をアピールしようと必死なのは分かるけど、軽薄さも伝わってしまう。

また質問を半分くらい聞いたところで、答えを考え始めて話してしまうと、
後になって「もっとこう話すべきだったな」と反省することが多い。

「ただすべからくまず我を忘れ、人の言はんことをよく聞きて、後に静かに案じて、難もあり不審もあらば、逐おふても難じ、心得たらば逐ふて帰すべし。」

だから道元は「自分はこう思う」みたいな想いはいったん捨てて、
相手の話に耳を傾けた上で、後から静かに自分の考えをまとめるべき。

そしてもちろん話を聞いているだけではダメで、

「聞かんよりは見るべし。見んよりは経べし。いまだ経ずんば見るべし。」

他人にから聞くだけではなく、自分の目で見る。
そして見るだけではなく、体験することが大切だとも説いている。

いい話を聞いたなと思ったら、そこで終わってしまっては何の意味もない。
その話をもとに何か新たな一歩が踏み出せるなら、すぐに動くべきだし、
自分の知識にするために、関連する本を読んだりすることが大切だ。

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