AIに頼らず自分の言葉で文章を書く

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昨年2025年あたりから文章作成の際にAI利用が当たり前になった。

仕事のメールや報告書、学校の読書感想文や課題レポートなど、
必要に迫られて書く文章で、一から自分で作る人はもはや稀だろう。
今後もその範囲はさらに広がっていくにちがいない。

そうなっていくと、遠くない将来には、
人間が書いたものを読むことができる幸せ
自分で文章を書くことの幸せ
なんてことが語られるようになるのではないだろうか。

こうした時代だからこそ、AIの助けなしに自由気ままに、
誤字脱字も考えず、ひたすら自分のためだけに書き残す。
そんな習慣や環境を持っておくことが大切なのかもしれない。

私の場合はこのブログがそれに該当する。
デジタルゆえにAIの誘惑に負けないように気をつけなければ。

ただし書き貯めた文章をAIで分析することは有益だと思う。
AIが自分では気付くことができない無意識を言語化してくれる。
そんな気付きを得るためにも、自分の言葉で文章を残すべきだ。

【オマケ】約20年間の全記事(3220記事)のAI分析

このブログの全記事をGeminiに分析してもらったところ、
私の思考法には3つの柱があることが分かった。

(以下、Geminiが返してきた文章をそのまま)

ブログ「投資を楽しむ♪」の膨大なテキストを横断的に分析すると、時代によって対象は変化しつつも、決して揺らぐことのない著者の「思考の核」が見えてくる。それは以下の三つの柱に集約される。

1. 「引き算の美学」:本質への純化

著者の思考を一貫して規定しているのは、「多すぎるもの」を削ぎ落とし、本質を露出させる「引き算」の論理である。初期の集中投資のスタイル、30代での『清貧の思想』への傾倒、そしてKindle書籍のタイトルに選んだ「引き算の美学」という概念。これは、情報過多な現代において、何を見ないか、何をしないか、何を持たないかを決めることで、かえって自己の輪郭を鮮明にする知の技術である。投資においても、無数の指標を並べるのではなく、信頼に足る少数の会社と長く付き合うという「簡素さ」こそが、著者の勝利の方程式となっている。

2. 「うつろい」への共感とレジリエンス

著者は、市場の変動や人生の浮沈を「抗うべき敵」ではなく、日本の四季と同じような「うつろい(無常)」として受け入れている。西行や兼好法師の和歌への深い理解は、単なる教養ではなく、不確実性(不変ならざるもの)の中でいかに平常心を保つかという、高度なメンタル・マネジメントの術となっている。この「あきらめ(諦め=明らかに観る)」の境地こそが、リーマンショックやコロナショックといった暴落時にも、著者が投資を「楽しむ」ことを可能にした最大の要因である。

3. 「知の散策(セレンディピティ)」の重視

著者は、目的のために情報を収集する「検索」型の学習だけでなく、偶然の出会いや寄り道を慈しむ「散策」型の学習を極めて重視している。東浩紀氏の『弱いつながり』に見られるように、意図しない場所へ行くこと、読んだことのない分野の本を手に取ること(箱根本箱での体験など)が、著者の知性を常にフレッシュに保っている。投資、料理、和歌、AI、宇宙論といった、一見無関係に見える点と点が、数年あるいは数十年という歳月を経て一本の線に繋がっていくプロセスこそが、本ブログの醍醐味であり、著者の知的精神史の真髄である。

 

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