風流とは心の揺らぎを楽しむこと

ビジネスの世界では「価値創造」って言葉が多用される。
でもそもそも「価値」とは一体何なのだろう?とふと思う。

今日、人はあらゆるものの値段を知っているが、いかなるものの価値も知らない。」(オスカー・ワイルド)

本質的な価値なんて、しょんせん分からないのだろうか。
価値はつねに変化し、つかみどころのないものだから。

価値という言葉には「うつろい」という感覚がピッタリくる。
「うつろい」の語源は「うつ」。
漢字で表せば「空」や「虚」があてはまる。
空っぽのものに何らかの想いをつめることで変化が起きるのだ。

虚空よく物を容る。我らが心に念々のほしきままに来たり浮かぶも、心という物なきにやあらん。」(徒然草235段)

心に様々な思いが気ままに出入りするのは、心に実体がないから?
兼好法師は私たちの心のうつろいやすさを虚空にたとえて嘆いた。
価値を決めるべき心が揺れるから、絶対的な価値など存在しない。

でも心がうつろうのは、恋や四季といった美の面影を映すから。
かつての日本人はそれをおおらかに受け止め、和歌を詠んだ。

やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひだせるなり。花に鳴くうぐひす、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。」(古今和歌集・仮名序)

つまり心のゆらぎを楽しんでいたわけだ。
流れる風に身をゆだねる…、それが風流に生きるということ。
古代人の方が物事の本質を捉えていたようにも思えてくる。

もしも本質的な価値というものがどこかに存在するのなら、
遊び心を持って、風流に生きれば、何かが見えるかもしれない。