大きな詐欺を防止するための、小さな詐欺としての投信

この世で「善」のみを追求することは不可能だ。
まずは古典と経済理論から例を2つ。

中国の故事成語にこんなのがある。(後漢書)

水至って清ければ則ち魚なく、
人至って察なれば則ち徒なし。

水がキレイすぎると魚が住めない。
清廉潔白を追求しすぎると人が寄りつかない。

ノーベル賞経済学者、ケネス・アローの「不可能性定理」。
個々の合理的な選好を集めても社会的に好ましい結果に至らず、
完全な民主主義を実現すること不可能であることを証明した。

光があるところに必ず影はある。
反対に「悪」が存在してこその「善」なのだ。
物事を見つめる際に、清濁あわせ飲む、心の広さが必要。

投資信託
文字通り「信じて託す投資」と捉えるなら「悪」だらけの世界。
しかしずいぶん昔に自分でこんな話を書いていたように、

悪の中にも善を見出すことはできるはず。
あれから8年。
オレオレ詐欺や振り込め詐欺など被害額が大きく拡大した。

顧客から手数料を取るためだけの悪しき投信であっても、
多額の資産を奪われる可能性は少ない。
振り込め詐欺に遭いそうになり、全額解約へ窓口に行けば、
顧客を落ち着かせ、新たな投信購入を薦めてくれるだろう。
詐欺で100%失うはずだったお金が、数%程度の詐欺で済む。

つまり窓口販売されている投資信託は、
金融のセコムやALSOKのようなものだ、と考えればいい。
資産形成ではなく資産安全サービスのために存在するのだ。

最後に老子から1つ。

天下、皆、美の美為ることを知る。これ、悪なるのみ。
皆、善の善為ることを知る。これ、不善なるのみ。

美や善と判断するところに、悪や不善が存在する。
善悪の線引きは、やはり難しい。。。