世阿弥「風姿花伝」の人生論 35歳→45歳

この記事は約2分で読めます。
今からだいたい10年前の30代半ばの頃、
古典に記された年代別の人生論を収集していた。
なんとなく振り返っていて、もう一度読んでみようと思ったのが、
世阿弥風姿花伝」の35歳と45歳についての記述。
「風姿花伝」の第1章に掲げられる「年来稽古条々」は、
年齢ごとの能の心得を伝えるものだが、人生論としても読める。
34~35歳の頃は、「盛りの極め」(絶頂期)。
「この時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふ程もなくば、いかなる上手なりとも、いまだまことの花を極めぬ為手と知るべし。・・・この頃天下の許されを得ずば、能を極めたりとは思ふべからず。」
この時期までに世の中から認められていないと能を極めたとは言えない。
「上がるは三十四五までのころ、下がるは四十以来なり。」
芸が向上するのは、34,5歳まで。40歳以降は落ちていくのみとも指摘。
44~45歳の頃は「身の花もよそ目の花も失する」、
すなわち衰えが隠せない時期だが、
「もしこの頃まで失せざらん花こそ、まことの花にてはあるべけれ。」
この時期、衰えてなお、輝くものがあれば、
それこそが「まことの花」(決して散ることのない魅力)と説く。
そして次代の担い手を育てる時期でもあるとし、
「我が身を知る心、得たる人の心なるべし。」
自らの限界を知る心こそが奥義に達した者の心得である、とまとめている。
寿命の短い時代の本だから今とは感覚が違うのでは?と感じるかもしれないが、
世阿弥は60歳まで現役で舞台に立ち、80歳まで生きた人物。
世阿弥の言葉を人生論として変換するなら、
35歳までにどう生きてきたかで、その後の人生が決まる。
と説いているような雰囲気がある。
いま45歳の立場でこれまでの10年を振り返ってみると、
いろんなものに挑戦してみた実感はあるけれど、
たしかに35歳以降に新しく身に付いたのは「料理」ぐらいかな。
世間から認められるものと言えば、昔と変わらず「株式投資」だけ。
まぁ何が身についたとか、世の中に認められたとかよりも、
日々楽しくすごせているので、それで万事OKなのである。

コメント