しょせん自分のお尻の上に座るしかない/モンテーニュ「エセー」

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引き続き、モンテーニュ「エセー」より。

私たちは理解不明な出来事に遭遇すると、
原因と結果を強引に結びつけて、納得しようとしがち。

「わたしの見るところ、人間というのは、なにかの事実が示されると、えてして真相を究明するよりも、その理由を探そうとするようである。〈彼らは前提となることを飛び越して、その結果を注意深く検討する〉。ものごとをほったらかしにして、原因に飛びかかっていく。人間とは、なんとおかしな原因究明者であることか。」(足の悪い人について)

モンテーニュはこうした人間の性が、
超常現象をも信じ込ませ、魔女狩り等につながると指摘。
なぜこのようなことが起きるかというと、

「世の中の誤りの多くはというか、もっと大胆に言わせてもらうなら、世の中の誤りのすべては、われわれが自分の無知を表明することを恐れるように教え込まれているがために、反駁できないことは、ことごとく受け入れなければいけないようになっていることが生じている。」(足の悪い人について)

自分が無知だと気づくためには、まずは自分自身を見つめること。
外に答えを求めてばかりでは、自身を律することにはつながらない。

「われわれは、自分自身のありようをいかに使いこなすのかわからないから、他の存在を探し求めるのだし、自分の内側を知らないために、自分の外側に出ようとする。でも、そうした竹馬に乗ってもどうにもならない。竹馬に乗ったとて、どっちみち自分の足で歩かなければいけないではないか。いや、世界でいちばん高い玉座の上にあがったとしても、われわれはやはり、自分のお尻の上に座るしかない。」(経験について)

「自分のおしりの上に座るしかない」という表現がおもしろい。
全3巻107章にわたる「エセー」の末尾に記される決め台詞だ。

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