文字を読むことの脳科学/メアリアン・ウルフ「プルーストとイカ」

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先週、読書好きのための遊園地?、角川武蔵野ミュージアムを訪問。
図書館や書店のような管理のしやすさを重視した本棚ではなく、
目に留まったテーマから芋ずる式に読みたい本があふれだす仕組み。
脳関連の棚で「こんな本あったんだ」と出会ったのが今日の一冊。

タイトルが意味不明すぎて、普段は絶対に手に取らないだろう。
私たちが文字を発明し、それを読むことによって、
脳がどのように発達してきたのかを解き明かした一冊だった。

「新しい知的機能を学習するために自ら再編成する人間の脳の驚くべき能力を映し出すことにかけては、読むという行為に勝るものはほとんどない。脳の読字学習能力の基盤となっているのは、視覚話し言葉など、人間の進化の歴史においては読字の先輩格にあたる脳の他の基本的プロセスにそもそも従事していた構造物と、回路のあいだに新しい接続を生み出すという脳の変幻自在な能力だ。今では、私たちが新しいスキルを習得するたびに、一群のニューロンのあいだに新しい接続と経路が造り出されることが分かっている。」

初期の認知神経科学はイカの神経を研究対象としたことと、
読書を人間の知的聖域と位置付けたプルーストを掛け合わせて、
このようなタイトルになったようだ。

日本語の読み手の脳の働き

一番興味深かったのは、使う言語によって脳の働きが異なり、
日本語の読み手の脳が特に興味深いと言及されていた部分。

  • 日本語の読み手は、漢字だけを読む時は、中国語の読み手と同様の経路を使う。
  • 規則性が高く平明な仮名文字を読む時は、むしろアルファベットの読み手に近い。
  • 仮名文字を読む時、アルファベットとは異なり、音韻処理に用いられる前頭前野がそれほど賦活していない。
  • 漢字と仮名の単語解読に用いられるそれぞれ別の解剖学的経路が存在するうえに、左側頭葉後部周辺には、漢字と仮名から成る文章を読む時に活性化する大きな皮質系がある。

規則性と平明性の高い音節文字である仮名文字があるおかげで、
アルファベットの読み手の混乱の種である音韻処理を省略できるという。
でもそのせいで日本人は英語の発音が苦手なのでは?

テクノロジーの進展によって失われる能力はないか?

2007年に出版された本なので、それから十数年が経ち、
著者の問題意識はすでに顕現しているのかもしれない。

「多くのデジタル表示のように、一見完全に思える視覚情報がほとんど一斉に与えられた場合、その情報をさらに推論や分析、批判によって処理するだけの時間をかけたり、処理しようとしたりする意欲がわいてくるだろうか? そうした状況になったら、字を読むという行為が激変するのではないか? 基本的な視覚プロセスと言語プロセスは変わらないにしても、時間のかかる照明や分析、創造といった、読解に必要な側面は削られてしまうのではないか?」

とはいえ古代ギリシアでも「文字」の発明をめぐって、
人間の能力を奪うものではないか?というような論調が、
プラトンの「パイドロス」に記されている。

新しい仕組みが現れた時の拒絶反応なのだろうか。

文字から知恵は生まれない(プラトン「パイドロス」)

関連する「パイドロス」の記述を下記に引用しておこう。

「たぐいなき技術の主テウト(文字を生み出した神)よ。技術上の事柄を生み出す力をもった人と、生み出された技術がそれを使う人々にどのような害を与え、どのような益をもたらすかを判別する力をもった人とは、別の者なのだ。」

「文字こそが記憶と知恵の秘訣」と説く神テウトに、
もう一人の神、タモスが反論をはじめる。

「人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植えつけられるだろうから。それはほかでもない、彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなくて、想起の秘訣なのだ。」

文字にすることで、安心して忘れることができてしまう。
人々から記憶する力、記憶したものを思い出す力を奪う
もの。

「あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らはあなたのおかげで、親しく教えを受けなくても物知りになるため、多くの場合ほんとうは何も知らないでいながら、見かけだけはひじょうな博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代りに知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つき合いにくい人間となるだろう。」

だから「文字から生まれる知恵は真実の知恵ではなく、
見かけだけの博識家を生むだけではないか」とタモスは諭す。

遅延ニューロン

脳にこのような機能があるのか!と驚いた部分は、

「音楽でも、詩でも、人生でも、全体を理解するには、休息をとり、いったん立ち止まり、緩やかに進むことも不可欠であるからだ。現に、私たちの脳には「遅延ニューロン」というものがある。その役割はただひとつ、他のニューロンの情報伝達速度をほんの数ミリ秒だけ遅らせることにある。私たちが直感的に把握した現実に順序と優先順位を与えて、サッカーの動きや調和のとれた運動を計画したり、同調させたりできるようにしてくれるこの数ミリ秒が、計り知れないほど貴重なのだ。」

羽生善治さんの学習の高速道路論を追いかけていた時、
高速道路に乗って、どんどん先に行くよりも、
ゆっくり行ったほうが楽しいものが見えるのでは?
という指摘がされていて、このあたりとつながるのかな。

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