COVID-19の襲来を機にやめるべきだった慣習。
前に書いた環境破壊につながる名刺交換儀式の廃止は、
今後、社会全体で取り組むべき課題のひとつだと思う。
- 名刺交換儀式は環境問題。コロナを機にやめるべきだったが…(23/06/01)
個々人のレベルで避けたいのが飲み会の復活。
仕事には「本音」で語り合う「飲みニケーション」の場が必要。
そんな昭和から続くもっともらしい嘘が未だに蔓延している。
そこで語られる「本音」は、その場にいない誰かの悪口ばかりなのに。
そして飲み会の参加人数が増えれば増えるほど、
内容のなさ、無意味さが増幅するカオスの場でしかない。
社会に出て早々にこのことに気が付いた私は、
20代の頃より夜の集いから全力で逃げ続けてきた。
世間から協調性の欠如した変人とみなされようが気にせず、
「世間では普通と違う人間を異常と呼ぶ。私はそう呼ばれることを誇りに思っている。」(エリック・カントナ)
浪費を回避した時間は学びに、お金は投資に充ててきた。
今振り返ると、25~35歳の10年間のこの行動が、
その後の人生の幸福・幸運を呼び込む土台となったように思う。
本当は誰もが気付いているはずだ。
昔なら昼間にランチやお茶でもしながら、今であればZoomで繋いで、
シラフの状態で盛り上がらなければ、創造的な展開に発展しないことを。
酒の後押しがなければ盛り上がれないような人間関係は、
まったく価値がなく、縁を切ったところで何も困らないことを。
COVID-19が作ってくれた飲み会と決別する機会。
誰もがその時にひとりで楽しむ、余暇の使い方を見つけたはずだ。
- テレワークによる余暇を知的に遊べ!/ラッセル「怠惰への讃歌」(20/06/23)
あの時ひとりで楽しむ方法を見つけているのなら、
飲み会で時間とお金を無駄にする人生に逆戻りすべきではない。
「自分自身のために自分を自由にし、いままでにきみから奪い去られ、盗み取られ、あるいは逃げ去った時間を拾い集め、それを守ることです。」(セネカ「道徳書簡集」)
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