ゲオルク・ジンメル「近代文化における貨幣」(1898年)

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投資家人生もだいたい半分を折り返し、残り20~30年だろうから、
ここらで一度、資本主義の問題点を自分の中で整理し、
これからを考えるヒントにしたい、というのが最近のテーマ。

ゲオルク・ジンメルの「貨幣の哲学」を読んだ方がいいかな、
でも難解そうで気が進まないな…とモジモジしていたら、
本棚に昔買った「ジンメル・コレクション」なるコラム集があった。

奥付の印刷日(2009年1月)から察するところ、
リーマン・ショック後にも同じことを考えていたのだなぁと。

このなかに「近代文化における貨幣」(1898年)というコラムがあり、
当時の私がマーカーを引いていた箇所が興味深い。

「最終的な目的や享楽へと通ずる数列のひとつの項としての、すなわち橋渡しとしての役割、これが貨幣のもつ意味のすべてだ。ところがこの数列は、心理的にはこの項の段階でとぎれてしまい、目的意識は貨幣のところで立ち止まる。現代人の大半は人生の大部分を、金を得ることを目前の努力目標として過ごさざるをえない。そのために、あらゆる幸福、人生のあらゆる最終的満足は、なにがしかの額の金を所有することと不可分に結びついているという思いこみが生じる。たんなる手段であり前提条件にすぎないものが、内面的には最終目標へと成長していく。」

貨幣は本来、何かしらの資産を手に入れるための手段にすぎなかったが、
いつの間にか貨幣を手に入れることだけが最終目標にすり替わってしまう。

「ところが、いったんこの目標に到達してしまうと、死ぬほどの退屈と失望が待ちかまえている。・・・それまで貨幣に価値意識を集中させていた情況が失われると、貨幣はその本当の性格、すなわちたんなる手段としての性格を露呈する。この手段は、人生が貨幣にだけ頼るようになった途端に、役立たずで不十分なものと化す。貨幣は何といっても最終的な価値ヘの橋渡しにすぎず、しょせん人間は橋のうえに住みつくことはできないからだ。

この本を最初に読んだのは、いわゆるFIREに挑戦し、挫折の真っ只中のとき。
当時の私にはとくに太字にした部分が響いたのだと思う。

このように貨幣経済が生んだひずみが記された部分もあるが、
封建的な共同体からの解放には貨幣の存在が不可欠だったし、
共同体が成立し、人々の間で友好的な関係が成立するためには、
人々が所有物を測るための共通する尺度が必要だったという指摘もある。

「近代文化の諸潮流は一見相反する二つの方向へと流れこんだ。ひとつは、平均化へ、均一化へ、もっとも離れたものをも同一条件のもとに結び合わせ、より包括的な社会圏を生み出す方向へと。もうひとつは、もっとも個性的なるものの形成へ、個の独立性へ、個我形成の自立をめざす方向へと。そしてこの二つの方向がともに貨幣経済によって支えられた。」

このあたりの貨幣の本質的な意義を忘れてはいけない。

哲学者気取りで、お金がすべてではないと背を向けたり、
お金を神のように信仰していては、本質に近づくことはできない。

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