おそらくトマ・ピケティ「21世紀の資本」(2014)以来、
格差問題に関連する書籍がいろいろ出版されたように思う。
三冊をひとまとめにしておくと。
ロバート・H・フランク「幸せとお金の経済学」
ロバート・H・フランク「幸せとお金の経済学」は、
私たちの財産を「地位財」と「非地位財」に仕分けることを提案。
- 地位財…所得や住居、車など他者との比較で満足が得られるもの。
- 非地位財…健康やレジャーなど他者とは関係がなく喜びが得られるもの。
現代は富の分配の不均衡から地位財を得るためのコストが高すぎるため、
累進課税制度など政策で修正が必要であると説いていた。
また真の幸福は非地位財からもたらされるものだと気が付け!と。
リチャード・ウィルキンソン/ケイト・ピケット「格差は心を壊す」
地位財の不均衡、すなわち所得格差と心の病の関連を指摘したのは、
リチャード・ウィルキンソン/ケイト・ピケット「格差は心を壊す」。
- 富裕層と貧困層の所得格差が大きな社会ほど社会生活が弱体化し、格差が小さな社会ほど連帯が強まる。
- 不平等な社会では、社会的地位が人間の優劣を示す指標として重視されるため、社会的評価への不安が増大する。
そして所得格差の弊害がもらたすものとして、次の5つを掲げている。
- 社会的な格差問題(健康や暴力等)が悪化する
- 社会階層が硬直化し、階層文化的・社会的な分断が広がる
- 地域社会での絆が弱まり、社会的な団結が損なわれる
- 地位に対する不安から自信喪失や自尊心が低下し心の病が広がる
- 分不相応な自己顕示的な消費が増える
ダニエル・ネトル「幸福の意外な正体」
非地位財が大事と言われても、そもそも「幸せ」は絶対値で決まらず、
期待値との比較や他人が持っているものとの比較によって決まる、
と指摘したのは、ダニエル・ネトル「幸福の意外な正体」。
ならば比較の呪縛から逃れられないのはなぜか?
- 通信手段のグローバル化により、より多くの比較対象を目にするようになった。
- 社会が豊かになり、様々な生き方が可能になることで、幸せへの期待が高くなりすぎた。
が現代特有の問題点として示されていた。
三冊ひっくるめた感想
結局のところ、大多数の人が格差社会を望んでいるようにも思う。
誰しも大なり小なり「お金を儲けたい」という欲望を持っていて、
これは「自分と貧乏人との格差を広げたい」とほぼ同義なのだから。
そして格差というと、まず「お金」で判断せざるを得ないのは、
- 私たちは「数」で「質」を評価する方法しか持たない(16/01/05)
という致命的な知性の限界があるからどうにも抜け出せない。
他者との比較が人生を暗くするという指摘は、
老子の「足を知る」にはじまり、繰り返し説かれてきたこと。
中国古典の人生訓の集大成「菜根譚」にも多数の記述が残される。
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美学を持って生きる/菜根譚・前集55,66、後集70(14/11/24)
時代を超えて語り続けられている問題ということは、
それだけ比較の呪縛から逃れることが難しいということでもある。
政策次第で所得格差を縮めることはできるかもしれない。
でも比較でしか自己価値を認識できない人間の性という根本的な問題も。
どうあっても解消されることがないのが格差問題なのだろう。
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