岡本裕一朗「アメリカ現代思想の教室」で紹介されていた、
ジョン・ロールズ「正義論」の内容が分かりやすかった。
と同時に一般的に資本主義の格差問題が語られるときは、
リベラリズムが前提にあると考えるべきなのかなと感じた。
ロールズが提唱した二つの原理は、
- 平等な自由の原理…自由があらゆる人に平等に分配されなければならない
- 格差原理…社会的・経済的に不平等な社会で、弱者にとって有利になるように命じるもので、不平等の是正を目指している
リベラリズム由来の「平等は善」「不平等は悪」という前提のもとに、
資本主義がもたらした経済的格差が糾弾されているのではないか?
でも誰しも大なり小なり「お金を儲けたい」という欲望を持っていて、
これは「自分と他者との経済的な格差を広げたい」とほぼ同じ意味。
また格差はエントロピー増大の帰結であるとの指摘もある。
「極端な格差には理由はない。あえて理由を説明すれば、世界が新たな可能性を常に探索すること(すなわち、エントロピーが常に増大していること)が必然的に生む格差が、この社会の因果応報によって何重にも増幅されることである。いずれもこの世の基本的な理であり、自然なことだ。」(矢野和男「予測不能の時代」)
そもそも社会主義・共産主義を目指すわけではないのだから、
「良い格差」と「悪い格差」の観点からの説明が大切なのでは?
たとえば歴史上、所得分布の平準化は世界大戦のみによって起きており、
「不平等は貧困とは別のもので、人類の繁栄を左右する基本要素ではない。各国の幸福を比較してみれば、富の総量のほうが格差問題より重要だとすぐにわかる。格差の拡大が常に悪とは限らない。どの社会も普遍的貧困から抜け出すときには格差が広がるものだし、ある社会が新たな富の源を見つけたときも同じように不平等は急上昇する。また格差の縮小が常に善とも限らない。所得格差を最も効率よく縮めるのは、疫病、大戦争、破壊的革命、そして国家崩壊なのだから。」(スティーブン・ピンカー「21世紀の啓蒙」)
そもそも平等性にはなんの道徳的価値もないと説いた指摘もある。
「経済的格差はそれ自体として道徳的に反発すべきものではない。道徳性の観点からすると、万人が同じだけ保有するというのは重要ではない。道徳的に重要なのは、万人が十分に保有することだ。」(ハリー・フランクファート「不平等論」)
個々人の満足度合いは違うから、万人が「十分」と認識することが重要。
ゆえに経済的な平等ではなく「悪い格差=貧困」の解消に目を向けるべき。
以上のように辿っていくと「格差の解消」と「貧困の救済」は、
- 格差の解消…富や所得の平準化を重視
- 貧困の救済…健康で文化的な最低限度の生活を重視
というように似ているようで、視点が少し違うように思える。
また格差解消という言葉は、近年所得が伸びず不満を募らせる、
先進国の中間層に響きやすいのではないだろうか?
それゆえに社会主義的な主張をする書籍がベストセラーになりやすい?
という現在のモヤモヤをまとめて、いったんおしまい。
コメント