菊乃井の村田吉弘さんが語る料理屋の経営学

この記事は約7分で読めます。

COVID-19の襲来は飲食産業に大きな打撃となり、
とくにカウンター中心の日本料理店の先行きに不安を覚える。

そこで考えたくなったのが、

  • 老舗の料理屋はどのような理念を持って生き残ってきたのか?
  • 食べて応援するならどのような視点でお店を選ぶべきだろう?

といったこと。

京都菊乃井村田吉弘さんが2004年に東京進出するにあたり、
経営について言及した本が3冊あったので編集してみた。

存続を前提とした経営姿勢

菊乃井は1912年創業で、村田吉弘さんは3代目にあたる。

2004年に赤坂へ出店するにあたり、6億円を借り入れて、
土地・建物・造庭の総工費10億円を投じた。

「東京の料亭のプロジェクトは、資本投下がすごいうえに、京都から材料を運んだりするデリバリーコストがかなりかかるので、僕の代では、商売にはならないというのが正直なところです。」(村田吉弘「京都料亭の味わい方」2004)

なぜここまでの決断ができるのかというと、
商売の目的が利益を上げることではなく、継続することだから。

「僕らの商売というのは、利益を出すことが目的ではなくて、継続することが目的なんです。ですから、企業ではなくて『家業』です。利益を追求せずに、継続することに執着するというのが僕らの商売のやり方です。『百年後、どないするねん』ということです。」(村山裕三「京都型ビジネス―独創と継続の経営術」2008)

だから100年続くことを考えるとテナントビルへの出店ではダメなのだと。

「出店の候補でまず除外したのは、テナントビルです。当時、東京では再開発がどんどん進み、新しいテナントビルが話題になっていました。しかし、テナントビルに入って、何年商売ができるでしょうか。新しいビルができたらそっちへお客さんは流れていき、以前のビルは必ず古いイメージに捉えられてしまいます。「4、5年商売ができたらいい」という人なら、それで構わないでしょう。私は菊乃井を五十年百年続く店にしたいと思っている。もしテナントビルに入ったら「菊乃井は様子を見ているだけで、本腰を入れて東京でやる気はない」と思われるに違いありません。」(村田吉弘「儲かる料理経営学」2014)

そして孫の代まで考えて経営をしているからこそ、
100万円を超える高額な美術品を購入することも可能で、
それが京都の文化が厚みを増し、職人が育つことにもつながる。

東京出店に込めた想い

企業が事業を拡大する際は、単にそれが儲かりそうだから、ではうまくいかない。
その背景に社会課題の解決といった視点が必要なのは料理屋も同じ。

菊乃井の東京出店には東京で本物の京料理を真っ当な値段で、という想いがあった。

「日本料理のニーズが、世界中で高まってきてるなか、なぜ東京に、真っ当な値段で食べさせてくれる日本料理店が少ないのか。…宮参りに、喜寿の祝いに、法事にも使こうてもらえるような、京都では当たり前の「料亭」が東京には少ないから、法事を中華料理でやらんならんみたいになってしまう。そやから僕は、普通の人が、ちょっと無理したら行けるぐらいの値段帯の「アミューズメントパーク」を東京につくろうと思うたんです。」(村田吉弘「京都料亭の味わい方」2004)

「「日本の料理を世界に」そして「東京に本物の京料理の店を作る」というライフワークを成し遂げる思いが強かったからです。何事でもそうですが、事を起こすには「錦の御旗」が必要です。それがいつの間にか伝播して周りを動かし、事態を好転させていくのだと思います。また、長い時間かけて着実に布石を打ち、「失敗するはずはない」と思えるまで時間をかけたことも奏功しました。今、よくスピード経営の時代で、思いついたら則実行などと言われますが、そんなの嘘だし愚の骨頂ではないでしょうか。」(村田吉弘「儲かる料理経営学」2014)

コース料理が1人3万円を超える日本料理店が多く存在するが(とくに最近増えていた)、
菊乃井は人生の節目節目のお祝いにお客さんに訪れてもらえるようにと、
一般人がちょっと背伸びをすれば手に届く価格に設定している。
(赤坂店は昼は1万円、夜は1万5,000円~)

「お金をぎょうさん持っている人だけが、おいしいものを食べる世の中はどうも好かん。」(村山裕三「京都型ビジネス―独創と継続の経営術」2008)

そういえば私自身も結婚が決まって後の両家の顔合わせや、
誕生日や結婚記念日などのお祝い事は菊乃井の赤坂店に訪れていた。
村田さんの思うつぼだったということか(笑)

味が美味しいのではなく、楽しいから美味しい

もちろん価格が安ければ安いほどいい、という訳ではなく、
安さを売りにした、立って食べるフレンチのような業態には否定的だ。

「例えば、高級な料理を「立って食べる」という店。京都人の感覚かもしれませんが、立って食べることはまずしません。「立って高級フレンチ食べるくらいなら、座ってお好み焼き食べた方がいい」と思うはずです。何か自分のプライドを金で売っているように思うのかもしれませんね。」(以下すべて、村田吉弘「儲かる料理経営学」2014)

東京でこのような店が一時的とはいえ繁盛したのは、
節度と品位があってこその食事である、という考えが薄れたからでは?
と警笛を鳴らす。

「旧来、日本人はこの節度と品位をわきまえてきたと思いますが、近頃は大都会を中心にそう考える人が少なくなってしまった。それが普通になっていくと、日本料理とか日本の文化も危なくなってしまいますよね。「ものには適正な価格がある」ことを実践する上でも、店側に節度と品位があるからこそ実現可能になるのです。」

そして料理の美味しさとは単に味だけで決まるものではなく、

「料理とは食材そのものだけでなく、周囲や環境のすべてを含んだものである、ということ。誰と食べて、どんな話をして、どんな器に盛られていて、周りはこんな状況で……、だから「料理がおいしい」となるのです。料理は「餌」とは違うのですから。つまり、味だけが「おいしい」のではない。そもそも、味というのは人間の記憶には残りにくいものであって、いい雰囲気の中で楽しい時間が過ごせたから「おいしかった」という記憶が残るのです。」

今春の菊乃井の対応

「月刊専門料理」2020年7月、8月号に掲載の特集「コロナを考える」で、
村田さんから今春の菊乃井の対応が語られている。

緊急事態宣言後も営業日を減らし、客が来なくても店を開け続けた。
それはなぜか?

「先々代にあたる私の祖父は第二次世界大戦でB-29が飛んできて大阪が焼け野原になってる時も暖簾を出し続けた人で、『どんな時でも店を開けることが料理屋の仕事』という考えやねん。それが菊乃井の方針やから。」

「店を休みにして雇用調整助成金でしのぐというのは、『食を通じて社会に貢献する』という菊乃井の考え方に合わんと思うから、来るか来ないかわからへんけど常に店を開けて、来てくれたお客さんに最善を尽くすという本心でやっとるわけや。」

スタッフには身銭を切ってでも給与は満額払っていたとのことで、
財政的に余裕があるからできるとも言えるが、
こういう人の元に普段からお金が集まるとも言えるのではないか。

「僕らの仕事ってほんま割に合わんと思うわ。こういう事態の時も、最初にあおりをくらうのが飲食店で、平常時に戻るのが遅いのも飲食店という(笑)・・・せやけど、幸せな商売であることは間違いないわ。医者は病気の人が相手やし、弁護士は揉めごとしとる人が相手やけど、われわれはおいしい食事を期待して来はる人が相手なわけやからね。好きな料理を作ってお金までもらえて、「おいしかった」、「ありがとう」って感謝してもらえる。こういう仕事って意外と少ないで。『人に一食分の喜びを与える』って、僕はロマンのある仕事やと思っとるんよ。」

私は座右の銘は、

「人には一日に三回幸せになるチャンスがある!」

だから毎回の食事を大切にしたい思っている。
こういう話が聞けるのはとても嬉しい。

料理人の想いをもっと発信して欲しい!

昔は東京の食べログ4.0以上のお店を食べ尽くしたい!と願った。
でもこの1,2年で同世代の料理人が作る料理を食べて応援したいと考えが変わった。
これからは自分の外食費は、未来の食文化への投資なのだ、という視点も持ちたい。

でも現状、投資の視点も踏まえて通っているお店は「てんぷら前平」だけ。
温暖化や漁師の高齢化で手に入れられる食材が変わってきており、
天ぷらを未来に残すために、新たな食材の探求し続ける研究者への投資という感じ。

たまたま開業してすぐのお客さんが少ない頃に当たり、
いろいろとお話を伺うことができたおかげだったのだけど、
こういう幸運に出会えないと、なかなか料理人の想いに触れることができない。

お店のウェブサイトで料理に対する想いを語って欲しい。
そしてその想いに共感する人が集まる店という形もあっていいのでは?
そうすればグルメサイトの評価の信頼性なんて話もどうでもよくなる。

儲かる料理経営学 ケチなお店にお客は来ない
日経BP
¥961(2024/04/25 18:30時点)



月刊専門料理 2020年 08 月号 [雑誌]
柴田書店
¥1,650(2024/04/24 19:45時点)

コメント