日本の古典には美食に関する言説が見当たらない謎。
フランスとの比較でそんな話を耳にして、たしかにそうだなと。
日本の美食批評は明治以降か?
パッと思いつく「食」について言及した日本の古典と言えば、
兼好法師(1238~1350)が料理上手を讃えた一節しか思い当たらない。
「食は、人の天なり。良く味を調へ知れる人、大きなる徳とすべし。」(徒然草122段)
日本で社会的地位の高い人物が「食」を語るのは、だいぶ最近の話。
明治・大正時代に三井系で活躍した実業家、高橋義雄(1861~1937)が、
実業家達の茶会の記録をまとめた「東都茶会記」で、
ごくまれに懐石料理について語っている(とくに井上馨と益田孝の茶会)。
そして本格的な美食批評といえば、北大路魯山人(1883~1959)。
ここまでくるとさすがに古典と呼ぶには新しすぎる。
利休の茶懐石
ふと千利休(1522~91)が茶懐石について言及しているのでは?
と調べてみたが成果はイマイチだった。
わび茶なのだから美食を語るはずないか…(笑)
まぁせっかく調べたのでメモしとこ。
茶道長問織答抄
まずは和歌山藩主・浅野幸長が古田織部から聞き書きした
「茶道長問織答抄」(1604~12年頃の書)。
慶長十二正月十二の朝、猪内匠数寄屋ニテ古織雑談、
一 利休切々被出候、あらめ、鮭のやき物、おろしなます、なつとう汁、みそやき、鳥ハ雁けつかう過候とて、かものしると被申候、
一 数寄の振舞に、あまり結構わるき由、但くハれさるもわろしと利休物かたりのよし、
一 利休にて数寄屋の振廻にさい三つより多く出候事ハまれなる由
利休がたびたび出した料理は、
あらめの煮物、鯛の焼き物、おろしなます、納豆汁、味噌焼き。
雁は贅沢すぎるので鴨の汁が良いと言われた。
利休は佗茶の料理は贅沢すぎるのはよくないが、
食べにくいものを供するのもよくないと語っていた。
利休の茶会では三菜より多く出すことはまれだった。
松風雑話
次はだいぶ時代を下り、千家八代・千宗左の弟子、
稲垣休叟(1770~1819)が記した「松風雑話」より。
ここまで利休から時代が離れると微妙だが。。。
易ハ振舞に一圓不構、煎海鼠、串貝、乾鮭、夏ハ干鱈をたら仕立にして汁にする、引物ハさして引かず、引て一種なり、未練の人かならす結構をしたがるそ、大名にハ一段麁相よし、佗人にはまた結構もよく候なり。
利休は懐石を豪華に仕様とせず、
なまこ、串貝、乾燥した鮭、干鱈を鱈汁を出した。
宗易茶湯いたさるゝときハ、いつにても膳を出さる前に箸を削らさるゝ、常にも申さるゝハ、削立の箸ならでは杉のにほひなくて悪きと申さる、右の通に茶湯の度ごと膳を出すまへに箸を削らさるゝなり、藤江宗古と申人の内儀はなしなり、この人ハ宗易の姪なり。
利休が茶会を開くときは、お膳を出す直前に箸を削っていた。
削り立ての箸でなければ杉の香りがしないからダメだと。
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