現在の課題や将来の不安が文明発展の源

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3月27日のランチ会での論点補足

日本は課題が山積みで将来を不安視する人が多く、
それは遺伝子的な影響が大きいと考えられる。→関連記事

しかしそのおかげで勤勉な国民性を手にすることができた。

もし日本が課題も不安もない国だったらどうなるのか?
それが原因で世界から大きく遅れをとった時代が日本にはある。

自然環境の恵みで文明化が遅れる

古代の世界四大文明(と呼ぶのは日本人だけらしいが)は、
約8,000年~10,000年前に起源があるとされるが、
日本ではさらに古い、約16,500年前の「大平山元Ⅰ遺跡」がある。

この遺跡から出土した土器片からは、
世界最古の料理跡とも言われる食料の煮炊きの痕跡があり、
この時点では先進的な民族だったのかもしれない。
(人類にとっての料理の重要性についてのはこちら

しかしその後、世界を襲った気候変動が明暗を分けることになる。

世界的に乾燥化が進み、人々は水を求めて川の畔に集まりはじめた。
この水辺への人口の集中が文明発祥につながっていく。

「人の生存に欠かすことのできない「水」が非常に大きなファクターとなり、人口が一カ所に集中することで、それまで小さな村ぐらいでしかなかった集落が都市的な規模になる。その結果、水争いを防ぐための水活用システムが生まれ、そうしたことを記録する必要から文字が生まれたのです。」(本村凌二「教養としての「世界史」の読み方」

しかし気候変動の影響を受けなかった縄文時代の日本は、
今まで通りの生活をのほほんと続けていればよかった。

「自然環境に恵まれ、乾燥化が起こらなかった日本では、人口の集中も起きず、少人数の集落で安定した社会が長く営まれていたと考えられます。実際、縄文時代は一万年もの長きにわたっています。  日本がなかなか「文明」という段階に至らなかったのは、水が豊かすぎて水活用システムを作る必要がなかったから、そして、人口の集中が起きなかったからだと考えられます。」(本村凌二「教養としての「世界史」の読み方」

その結果、日本は長らく無文字社会が続き、
また農耕技術の工夫に頭を使うこともなかったため、
経済活動の基礎となる「余剰」が生まれることもなかった。

「土地を耕さなければ生きていけない場所でだけ、農耕が発達した。そのうちに試行錯誤を経て、より効率のいい農耕の技術が生まれてきた。人間が農耕の手段を開発していく過程で、社会は劇的に変わっていった。農作物の生産によって、はじめて本物の経済の基本になる要素が生まれた。それが「余剰」だ。」(ヤニス・バルファキス「父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」

そして初期は中国、後には欧米との比較から、
大きく遅れを取っているとの問題意識を持ったことが、
現在の日本の豊かさの源となったと考えて間違いない。

豊富な天然資源はある種の呪い

オマケで日本も天然資源が豊富だったらよかったのに…
という考えも持つ人もいるが、
長期的な経済の成長を考えると「石油」より「温泉」だ。

歴史的に見ると16世紀に反映を謳歌したスペインの没落は、
アメリカ大陸からの銀の流入が一因であり、これに言及しつつ、
ウィリアム・バーンスタイン「豊かさの誕生」はこう結論づける。

「天然資源の豊富さと経済繁栄の間には、負の相関関係がある」

また1970年代にはThe Economistが「オランダ病」と名付けた
「資源の輸出が好調 → その国の通貨が高くなる → 輸出産業の競争力低下」
という現象が起きた例を挙げながら、
アラン・グリーンスパン「波乱の時代」はこう指摘する。

「豊富な天然資源があれば、その国の生活水準が向上するより低下する可能性が高く、開発途上国の場合は特にそうだ。」

天然資源で儲かるよりも、火山や地震に悩まされながら、
疲れた頭と体を温泉で癒やす国の方が長期的にはお得なのである。

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