そもそも仏壇とは何か? ごく簡潔にまとめるのなら、
お寺を小さくしたもので、浄土へつながる「どこでもドア」の役割を果たすもの。
日本の仏壇の原型は、法隆寺の「玉虫厨子」と言われているが、
広く一般に普及しはじめるのは、戦国時代から江戸時代の以下のような経緯による。
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戦場に出かけることが多く、いつどこで死を迎えるか分からない武士にとって、居所の近くの寺院が提供する浄土の入口では不十分。ここで「浄土の入口のポータブル化」の考えが生まれてくる。そこで「陣僧」が戦場に同行し、どこでも往生できる体制を整えられた。
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江戸時代に入ると寺請制度(檀家制度)が実施され、寺院が民衆の戸籍管理を担うようになる。これにより各寺院が本山を頂点に整理し直され、その最末端が民家の仏間という位置づけになった。寺院から仏間が結ばれ、浄土への高速道路が引かれたイメージだ。
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しかし木造家屋が建ち並ぶ江戸ではたびたび火災に襲われた。仏間が燃えてしまっては、浄土への道が閉ざされてしまう。そこで火事の時にも持ち出して逃げられるように「仏間のポータブル化」が必要となった。こうして「仏壇」が考案され、庶民にまで普及することになる。
後のウォークマンにもつなげるべく「ポータブル化」を視点に
仏壇の来歴を編集するとこのようになる。
しかしその原点には遠くの理想郷として存在するはずの浄土を、
その世界観を忠実に守りながら表現した浄土式庭園にあるのではないか。
たとえば宇治の平等院は創建当初から
「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまへ」(後拾遺往生伝)
極楽浄土の存在を疑うなら平等院へ、と童歌にもなっていることから、
浄土を体感できる場として広く認識されていたようだ。
浄土を間近に引き寄せることができたから、ポータブル化につながるのだ。
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