昨年岩波新書から発売された「日本問答」の出版を記念した
田中優子、松岡正剛 両氏の対談イベントへ参加して、
日本を理解するには学びが足りないことを痛感してきた。
内容について行けない部分も多かったので、
本の内容から補足しながら、講演の内容を少しづつまとめていこう。
日本人の発想構造
日本を読み解く研究を進めていく上で、
お二方が意見を出し合った論点が以下の通り。
- デュアル・スタンダードという構造
- 中国からどういう日本を創ったか
- 主語よりも述語を重視する
- 文脈依存的な判断力
- 「普遍」ではなく「中心のウツ」を見る
- 時間はリニアに進まない 「循環」と「世継ぎ」
- 「おもかげ」に託する
- 顕(あらわるるもの)と隠(かくるるもの)
- 才と能の組み合わせ
- 縁・軒・廂・庭
- 治まる・収める・修む
京都と江戸、天皇と将軍のデュアル・スタンダード
1番目のデュアル・スタンダードについて、
講演内で興味深かった事例が、京都と江戸、天皇と将軍の関係。
江戸時代の日本列島における国家のあり方は、
- 蝦夷…アイヌは国家を作らず複数の酋長が並び立つ
- 琉球…中国の冊封体制に入るために統一国家をつくる
- 大和…天皇と将軍が並び立つデュアル・スタンダード構造
国家のないアイヌと国家を形成した琉球との間の大和は、
- 幕府は江戸にあるが、天皇は京都にいて首都は京都のまま
- 幕府と諸藩は冊封体制を見立てた参勤交代による上下関係
というような明治以降の中央集権的な国の形とは違っていた。
「江戸時代に入ってから、幕府の朝廷政策にかかわった天台僧の天海が「天皇には伊勢にお帰りになってもらっていいんじゃないか」と言うと、それに対して徳川の重臣、藤堂高虎が「将軍は天皇を輔弼してこそ信頼を得られるのだから、それはまずいんじゃないか」と答えるんですね。将軍は天皇がいないと成り立たないということが、江戸時代になってもまだ基本だった。」P80
また江戸は都市構造も京都の「見立て」「やつし」「もどき」の側面があり、
これは江戸時代の発想法の代表例とも言えて、
石川淳が「江戸人の発想法」のなかでこんな指摘をしている。
「江戸人にあっては、思想を分析するよりも、それを俗化する操作のほうが速かった。」
「彼らにとって象徴が対応しないような思想はなきにひとしかった。」
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