年始に「みかわ是山居」で早乙女哲哉さんの天ぷらをいただいた。
今年の営業初日のお昼に訪れたところ、カウンターに日本人は私たちだけ。
当代随一と称される天ぷらを味合うのが外国人観光客ばかりで少し寂しい。
もっとも早乙女さんご本人はご機嫌で献立表に筆ペンで海老を書いてくれたが。
さて待合室に置いてあった本の中で、
早乙女さんのこんな言葉が紹介されていた。
「天ぷらは、衣くっつけて油のなかへ放りこんだらもうおしまいだもんな。そのなかで何ができるかっていうことだから、やっぱし目指すものは深く深く。それこそ井戸よりも深く掘ってみせて、たとえ穴があったとしても、その深さはあんたらにはわからないんだよ、という仕事がしたいの。」
どんなに深く天ぷらを追求しても、かならずどこかに穴が生じてしまう。
ならばその穴を埋めながらとことん深掘りすることで究極の天ぷらを目指す。
私はその井戸の深さを理解できないかもしれないが、
一品一品が他のどの店でも出会えない、早乙女さんの天ぷらに魅了され、
外食で最高の贅沢をするなら迷わず「みかわ是山居」で、と決めている。
井戸を掘るようにひとつの道をとことん追求する…。
ふと昔読んだ村上春樹さんのインタビューを思い出した。
「想像力は誰でも、たぶん同じように持っているものです。人によってそれほど差があるとは思えません。ただ難しいのは、それに近づいていく場所です。誰でもきっと自分の想像世界を魂の中に持っているはずです。しかしその世界へ行き、特別な入口を見つけ、中に入って行って、それからまたこちらにもどってくるのは、決して簡単なことではありません。僕にはたまたまそれができた。」
村上さんは自らの想像世界を深く掘り下げることが創作活動の源だという。
私は自分の好奇心を深掘りはしているが分野がバラバラの無法地帯。
暴落時にはとことん投資を深掘りするが、最近はそれほど興味がない。
途切れることなく興味が続くのは、やはり「食」なのだろうか?
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