龍安寺を代表とする枯山水庭園を調べると、禅との関わりの深さを知る。
その創始者とされる、夢窓国師の山水思想を紹介したとおり。
でも、もう少し時代をさかのぼると、違う姿が見える気がする。
平安時代の寝殿造庭園の作庭秘伝書「作庭記」。
1,000年経っても色あせない日本庭園デザインの原点。
その「作庭記」が語る、庭作りにおいて一番大切な3つの心構え。
- 地形により、池のすがたにしたがひて、よりくる所々に風情をめぐらして、生得の山水をおもはへて、その所々はさこそありしかと、おもひよせたつべきなり。
- むかしの上手のたてをきたるありさまをあととして、家主の意趣を心にかけて、我風情をめぐらして、してたつべきなり。
- 国々の名所をおもひめぐらして、おもしろき所々を、わがものになして、おほすがたを、そのところになずらへて、やはらげたつべきなり。
簡単にまとめると、
- 庭園の立地を考慮しながら、風情をめぐらして、自然美を演出せよ。
- 過去のすぐれた作例を考慮しながら、自らの感覚で仕上げよ。
- 名所の景観を思い起こし、優れた部分を取り込み、表現せよ。
なんとなく、和歌の世界観に近いものを感じる。
過去の歌(本歌)の表現を用いて、新たな歌を創造する「本歌取り」や、
歌に各地の名所を詠み込む「歌枕>」の感覚が。。。
でも、庭園を詠った和歌ってあまり思いつかない。
平安時代の庭園と和歌の関係は、鎌倉以降の禅との関係ほど深くなく、
DNAの二重らせんみたいに、近いけれど交わらない。そんなイメージかな。
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