言っとくけど老けすぎたから遺書を書こうって訳じゃないからね(笑)
なんの罰ゲームでこういう話になったのか、もう忘れてしまったけど、
「今年中に結婚しなかったら、きゅうりフルコースの刑」を宣告されている。
きゅうりを大の苦手とし、オマケに恋愛経験すらない私にとって死刑宣告。
今年はたくさん投資をしたのに、死後すぐ売られては困るから遺書が必要?
とふざけていたものの、これが意外に重要な意味を持っていたりする。
30年前に亡くなった祖父も投資家だったが、子供に投資家はいなかった。
したがって相続後、株式はすぐに現金化されてしまったのだ。
最近、相続税の申告書を見る機会があったが、もし持ち続けていれば。。。
自分が死んだら運用終了じゃ投資家として何だか寂しい感じがして、
運用期間を決めるのは、死生観みたいなのも絡めて考えなきゃ、みたいな。
なんとなく今読んでる、ミルトン・フリードマン「資本主義と自由」から
「自分を本当に説得できるのは自分だけである。暇をみつけては問題点をじっくり検討し、いろいろな意見を考慮に入れ、煮詰めていくことが必要だ。漠然と選んだ考えを確信に昇華させるには、そうして長い時間をかけなければならない。」
この話はいわば投資家としての集大成のようなもので時間かかりそう。
ふと考えると、バフェットからの手紙は、バフェットさんの死後、
バークシャー・ハサウェイの後を継ぐ者へのメッセージとしても重要だ。
だから、とりあえずブログに脳の破片をバラまいとくのも大事なんだろう。
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