昨日、昼間からシャンパン片手にフランス料理(Ryuzu)を食べながら、
亡くなったスティーブ・ジョブズについて話したことの整理。
「早すぎる死を惜しむ」という姿勢はちょっと違うと思うんだ。
- 2004年8月 膵臓がんの手術
- 2005年6月 スタンフォード大学の卒業式でスピーチ→関連記事
- 2007年1月 iPhoneを発表
- 2009年6月 肝臓移植の手術
- 2010年1月 iPadを発表
膵臓がんの手術以降、いつ燃え尽きるか分からない自らの命。
その焦燥感、切迫感が、iPhoneやiPadの誕生を後押ししたに違いない。
“I’ve looked in the mirror every morning and asked myself: “If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something.“
あらためて「今日が人生最後の日だとしたら」の言葉の重みを痛感する。
病気にならなければ、心の底から理解することはできないのかな。
なぜ人は、一日、一瞬を大切にできないのか? こんな嘆きは昔から。
「寸陰惜しむ人なし。・・・刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、たちまちに至る。」(徒然草108段)
人生は一瞬(寸陰・刹那)の積み重ね。
そんな一瞬を惜しまず、意識せずにいたら、たちまち一生が終わってしまうよ。
かつてサッカーのロスタイムは、残り時間が提示されないものだった。
人生は「ロスタイム」のようなものだと思って、刹那を生ききるべきだろう。
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