直感と直観(柳宗悦)

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妻が先日、日本民藝館でもらってきた柳宗悦のエッセイ「直観について」。

直観とは文字が示唆する通り「直ちに観る」意味である。美しさへの理解にとっては、どうしてもこの直観が必要なのである。知識だけでは美しさの中核に触れることができない。

フムフムと読んでいて、こんな一節を目にして急に疑問に思ったこと。

「見る」と「観る」とどこが違うのか。しばしば同じ意味に使われはするが、あえて区別すれば、「見る」とは眼の働きで五感に属し、いわゆる所謂感覚のことであるが、「観る」とはただ感覚に終るのではなく、強いて云えば「内覚」又は「心覚」とでも云おうか。このうちなる感覚を「観」の一文字に託してあると考えてよい。

そういえば「直感」と「直観」の二通りの書き方がある。

「感」と「観」には何か違いがあるのだろうか?
と調べてみたことを以下に書き出してみたが「直感」の方が好きなかな。

私の解釈では、論理的な思考の積み上げでは決して出会えない、
未来を変える偶然の幸運をつかむ方法が「直感」だと思っているから。

直観は哲学用語

大辞林によると「直観」の方は哲学用語なのだとか。

「直感」は感覚的に物事を瞬時にとらえることであるが、それに対して「直観」は推論を用いず直接に対象をとらえ、瞬時にその全体や本質をとらえる哲学用語として用いる。

「感」と「観」の漢字の成り立ち

白川静「常用字解」で漢字の成り立ちも調べてみた。

口(神への祈りの文である祝詞を入れる器)の上に、聖器である戉(鉞・まさかり)を乗せることで、祈りの効果をとじ込めて守る意味がある。そのようにしておくと、神は夜中にひそかに訪れ、祈りに応えてくれると考えられた。神の「心がうごく」ことを感という。

元の字は「觀」。雚(こうのとり)を使って鳥占いをし、真意を察すること、「みる、みきわめる」ことを観といったのであろう。

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