新年度、新学期のはじまりだから、頭の中から桜を散らしてみた。
21種の勅撰和歌集、全190,423首を集めたという、和歌データベースで、
「さくら」で検索してみると、5,686首ヒットした。約3%、その程度???
でも平安時代くらいから、「花」と詠めば「梅」ではなく「桜」を表しているから、
もっともっと多いはず。たとえば百人一首から歌を選んでくると、
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
と紀貫之の歌の花は梅だけど、有名な小野小町の歌では桜。
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
ここで詠まれている桜はみな、散りゆく桜のはかなさが感じられ、
やはり「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは」(徒然草137)の花。
うつろいゆく世の無常観を、桜の花びらにうつしていたんだろうね。
オマケで桜の和歌と言えば西行法師。200首以上の桜の歌を残したとか。
ねがはくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃
と詠い、本当に桜咲く、3月下旬に亡くなったことで有名。
桜のイメージにも合う、貴族の時代に使われた「もののあはれ」って言葉は、
世の中が武家社会へ移ると「あっぱれ」という言葉に形を変えて、
武士の戦場で「桜のように散りたい」って想いと重なっていく。
新渡戸稲造が「武士道」の出だしでいきなり、
「武士道は、日本の象徴である桜に並ぶ、日本の土壌に特有の華である。」
って桜とリンクさせたのも、なんとなく分かる気がする。
今の日本人は、桜にどんな想いをうつしているのかな。
海外では「桜に取り憑かれる日本人」なんて報道されているみたいだけど…。
たしかに、桜の下でお酒飲んで、ただ騒いでいるだけのようにも見えるけど、
出会いと別れの季節の絆の中心、っていうような位置づけ?
海外の視点を借りると、カリフォルニア大学のエドワード・ファウラー教授は、
「桜の花びらは1人でいるときの日本人のようにかぼそいが、鮮やかに咲き乱れた桜は日本人が群れをなしているときのごとく周囲を圧倒する。」
---松岡正剛「日本数寄」P28より
と称したらしい。
なるほど、日本人と桜そのものと考えてしまう。それもありかな。
普段は悪い言われ方をする日本人の特徴を、良く言えば「純粋で一途」。
そんな日本人の純粋さを、桜の花の淡いピンク色に重ねてみるとピッタリ。
やっぱり日本っていいなぁ…、って思いを新たにするのだった。 >>>つづく
※おまけ: 今までで一番キレイに撮れた桜の写真♪(2009年4月)
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