うまい表現ではないのだけど、
「知」の交差点の中央を押さえに行くこと。
それをイメージすることが重要だと思ってる。
古代でも交差点は、特別な気配を感じる場だったようだ。
古代の人々は交差点を
「ちまた」(巷、衢、街、岐といった字で表記)
と呼んでおり、
つまり道が股のように分かれた場ということ。
万葉集の和歌をいくつか見ていこう。
ちまたの中でも名所だったのが海石榴市(つばいち)。
現在の奈良県桜井市あたりとされる交通の要所で、
男女の交流の場である「歌垣」が開かれていた。
海石榴市の 八十の衢に 立ち平し
結びし紐を 解かまく惜しも
紫は 灰さすものぞ 海石榴市の
八十の街に 逢へる子や誰れ
一首目(2506)にその様子がよく現れており、
ちまたの神が座する海石榴市の歌垣で約束したから、
二人の縁をほどける人なんていませんよ、という歌だ。
言霊の 八十の巷に 夕占問ふ
占正に告る 妹はあひ寄らむ
占部をも 八十の衢も 占問へど
君を相見む たどき知らずも
この2首(2951、3812)から分かるのは、
ちまたを行き交う人々の言葉で恋占いをする習慣。
人々の言葉に混ざって偶然、神の言霊を拾えるかも?
渋谷のスクランブル交差点で試してみる?(笑)
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