用賀と百人一首の謎

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世田谷美術館で「魯山人展」やってるよー!

と誘ってもらって、初めて用賀の駅に降りて「?!」

まずは古代ローマの円形劇場風の階段がお出迎え。

そして駅から美術館のある砧公園までの道のりが凄い!

路面に百人一首が順番に刻まれていて、

ももしきや 古き軒端の しのぶにも

なほあまりある 昔なりけり

と順徳院の100番目の歌を詠み終えると、

大通りを挟んだ向こう側に砧公園が現れる。

なんて風流な街なんだ!

この遊歩道「用賀プロムナード」は、

象設計集団の設計で1986年に竣工されたものらしい。

都内ではめずらしくゆったりした空間設計が実現したのは、

1960年代まで電車の車両基地と梅林だけの地域だったから。

でも用賀と百人一首がどう関係しているのが分からない。

百人一首の撰者、藤原定家の子孫の冷泉家つながりかな?

と思って調べてみたけど、何も出てこなかった。

何か想いが込められているのだと思うけど、

世田谷区のホームページの解説がテキトーすぎて残念…。

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