百人一首に収録された桜歌で代表的な和歌と言えば、
小野小町が詠んだこの歌だろうか。
花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせし間に
美しい花もやがて散る…、私もおばさんになっちゃった。
そんな哀愁たっぷりの晩年の歌と捉えられることも多い。
桜を美しい女性に見立てるという桜歌は、
万葉集に多く収録され、たとえば「桜児伝説」が有名。
2人の男性が桜児という名の美しい女性をめぐり激しく争い、
それを見た桜児は自ら死を選び、残された2人が呼んだ歌。
桜去らば 挿頭にせむと わが思ひし
桜の花は 散りにけるかも
妹が名に 懸けたる桜 花開かば
常にや恋ひむ いや年のはに
男性が桜に女性を見出した万葉集の時代から、
女性が自らを桜の中に見出した古今和歌集の時代へ。
そして和歌の世界で桜が春の主役になるのは古今集から。
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さて小町の和歌は本当に晩年の哀愁かなのか?
この時代に詠まれた他の桜歌を詠むと(古今集97)、
命のはかなさよりも命の尊さを桜に見出している。
春ごとに 花のさかりは ありなめど
あひ見むことは 命なりけり
また時代をくだると、花は散るからこそ美しい、という視点もある。
「花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり。いづれの花か散らで残るべき。散るゆえによりて、咲く頃あればめづらしきなり。能も、住する所なきを、まづ花と知るべし。」(世阿弥「風姿花伝」)
「花の色はうつりにけりな…」に晩年のイメージが付されるのは、
たとえば江戸時代に松尾芭蕉が詠んだような、
さまざまに しなかわりたる 恋をして(凡桃)
浮き世の果ては みな小町なり(芭蕉)
に影響うけた小町像なのかもしれない。
桜に無常を見るのではなく、ただその美しさに見とれていたい。
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