藤原定家後の和歌の行方…意匠の一部に?

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久しぶりに直木賞受賞作を読んだ。

受賞作品をすぐに読むのは5年前ぶりのこと。

山本兼一「利休にたずねよを本屋で手にとって

  • 最初の章からだんだん時間を過去にさかのぼっていく
  • 章ごとに異なる人物の視点で利休を描く

という目次構成が面白くてすぐに買って読んだ。

そして今回の朝井まかて恋歌は、

  • 主人公は中島歌子? 樋口一葉の師匠? 誰それ?
  • 明治に古典的な和歌を詠んだ歌人? この時期に和歌?

?がてんこ盛りで、興味を持って一気に読み終えた。

秀でた歌人の背景には「叶わぬ恋」の物語がつきもの。

幕末の動乱に巻き込まれた主人公の人生は壮絶だ…。

でも私にとって意外だったのは、明治時代にも和歌があったこと。

歴史・文化を辿って行くと、鎌倉時代あたりで存在感が薄くなる。

藤原定家(新古今・百人一首の撰者)以降、和歌の印象がない。

室町時代では連歌会所に文芸人が集まるきっかけとなり、

江戸時代になると芭蕉や蕪村などの俳句が一世を風靡する。

定家から歌子まで間、和歌は一体どこに隠れていたのか?

そんな疑問の中、根津美術館の展示「和歌を愛でる」を観てきた。

室町・江戸時代の美術品に、

  • 吉野龍田図屏風…紅葉や桜の絵の中に和歌の短冊が舞う
  • 花白河蒔絵硯箱…和歌を蒔絵で表現
  • 茶碗の箱書き…茶碗のテーマに合った和歌を箱に書く

といったものが見られ、

どうやら過去の名歌が意匠の一部として使われていたようだ。

そういえば百人一首にも尾形光琳が描いたものがあったか。

わずか31文字の世界がここまで広がるとは実に興味深い。

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