価値の中心は神から科学へ。そして…

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約60年前の唐木順三氏のコラム「科学者の社会的責任」。

今の文明とこれまでの文明を隔てているのは「速度」だけで、

同じような問題が続いているんだなぁ、と感じさせられる一節。

私は、かねがね、真、善、美という価値体系が崩壊してしまったことが、近代ニヒリズムの根本原因だと思ってきた。いわば科学的真が、善、美を圧伏して独走してしまったことが、近代という時代の性格であると考えてきた。そして、この近代ニヒリズムを超える道は、失われた価値体系を取り戻すことにあると考えてきた。そのためには、真、善、美の統一原理として、幸福というものを、深いところから考えねばならぬと思っている。」(唐木順三「朴の本」より)

人の知性を世界の中心においたとき、神への信仰は消える

人の外部に価値体系の最高権威を求める必要がなくなるから。

たとえば経済の分野では「神が死んだ」(ニーチェ)ことで、

マックス・ヴェーバーが資本主義の起源に見た

  1. 「神に喜ばれるような天職」に就き、
  2. その「天職を遂行するための富の追求」する

という道徳的な規範としての神は失われた。

近年の金融が節度を失いがちな原因はこのあたり?

「神」に代わる存在が、人の知性の結晶である「科学」

そして科学を用いて自然と人間の間に君臨していた「偶然」から、

「危険」と「安全」に分類し、「リスク管理」でたらい回しにしてきた。

その先にあるのが、3.11後のフクシマにおける産業的な破滅。

神を捨て、人の知性こそが力であるという確信から、

科学や文明の進歩を最上のものとして疑わなかった20世紀。

21世紀に入ってから約10年で、金融危機やフクシマなど、

20世紀の価値体系を揺るがすようなできごとが次々と起きた。

次の時代の価値体系の中心にそえられるのは一体。。。

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