平清盛と同年に生まれ、貴族社会と武家社会の間に生きた西行は、
日本の文化史・精神史における転換点を演出した偉人だった。
私が特に注目した西行の偉業は次の2点。
- 無常観が仏教を離れた瞬間
- 桜に人生を重ね合わせる美学の完成
北面武士として鳥羽院に仕えていた佐藤義清が出家したのは23歳の時。
西行と名乗り、孤独を生きる力に詠み続けた渾身の和歌の数々。
いったい西行にとって和歌とは何だったのか?
明恵上人の伝記に、西行唯一の歌論が残されており、
これによると、西行にとって和歌を詠むことは修行の一環だったと。
ともすれば 月見る空に あくがるる 心の果てを 知るよしもがな
ゆくえなく 月に心の すみすみて 果てはいかにか ならんとすらん
月を見上げた心は澄みわたり果てしなく広がっていく…。
西行のからだを離れ、移ろい出てきた「心」。
西行の和歌に「無常観」が仏教を離れた瞬間あり、と見てみたい。
花に染む 心のいかで のこりけむ 捨て果ててきと 思ふ我が身に
そしてその無常の心は西行の愛した「桜」へと乗り移った。
「春」と「散る」が重なり、貴族の「あはれ」が武士の「あっぱれ」に移りゆく…
西行の登場により、日本人にとって桜は「心」の問題となったのだ。
満ちた月は欠け、咲き誇る桜もやがては散ることを、人生に重ねあわせる。
こんな感覚は、西行からはじまった、とは言い過ぎだが、西行で完成した。
全国を遊行し、その名が知られていた西行の見事な死は、
日本中の文化人に大きなインパクトを与えたに違いないから。
ねがはくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃
願いどおり、満開の桜の下、満月の日(釈迦の涅槃の翌日)に亡くなった。
月と桜を愛した奇跡の歌人。その死によって文化史上、伝説となったのだ。
主な参考文献
・西行「山家集」(岩波文庫)
・白洲正子「西行」
・角川ソフィア文庫「西行 魂の旅路」
・松岡正剛「花鳥風月の科学」
・竹内整一「はかなさと日本人 無常の日本精神史」
・小川和佑「桜の文学史」
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