日本の無常の系譜を描いた名著、唐木順三「無常」。
でも絶版で古本の入手も困難だから、読みたくなるたびに図書館へ。
お願いだから復刊してよー、筑摩書房さん!※追伸…今はKindleで読める
「無常を語る場合、きわだって雄弁になり、それを書く場合、特に美文調になるという傾向がきわめて顕著であるということが、日本人のひとつの特色といってよいだろう。」P177
無常を詠う日本の古典はたしかに美しい。
パッと思いつく冒頭部に無常観が示された例をあげると、
和泉式部日記
「夢よりもはかなき世の中を嘆きわびつつ明かし暮らすほどに…」平家物語
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし。」方丈記
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」一遍上人語録
「身を観ずれば水の泡、消ぬる後は人もなし。命おもへば月の影、出入いきにぞとどまらぬ。」奥の細道
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり…」
冒頭に執着しなければ、徒然草や西行の和歌をはじめ、
無常は日本の文芸に花を添えた不可欠な要素の1つだった。
なぜ無常は日本人を雄弁に、日本の古典を美文にしたのか?
唐木順三はこんな指摘をしている。
「無常を語るとき雄弁になり、それを書く文章が美文調になるひとつの原因は、遷流の無常を時間的に考え、時間という流れの究極に、その到達点をおき、その到達点においては時間は消えて永遠になると考えているからである。」P185
世の無常を痛感し、永遠にあこがれを抱いたからこそ、
すべてが限りあるこの世界に無限の美を演出しようとした。
こんなところだろうか。
コメント
アマゾンのマーケットプレイスなら、古本がありましたよ。
最安値で、¥999+送料¥250かな。
状態は「可」程度ですけど
安いのもあるのですが1998年版のちくま学芸文庫が漢字を読みやすく直したものなので、そうすると…マーケットプレイス21,000円(涙)