奈良時代の金堂が現存する唐招提寺

奈良の旅で最も印象に残った建築物は唐招提寺の金堂かな。

まず門前にゴチャゴチャとお店もなく静けさが保たれているのがいい。
門をくぐって境内に入ると、真正面50mほど先に金堂の姿が見える。

その金堂が徐々に近づいてくる感じがうまく表現できないので、
東山魁夷「唐招提寺への道」の記述をそのまま借りると、

南大門の基壇に立って、しばらく金堂を眺めてから、玉砂利を踏んでゆっくりと近づいて行くと、屋根と正面部とのバランスが徐々に変化してゆく。初めは屋根の重量感が、その下の部分を圧しているかに見える。もと、中門のあったと思われるところまで来ると、やや、匂衡が保たれるようになり、更に進むにつれて、八本の吹き放しの円柱が、力強く屋根を支えているのを感じる。屋根の瓦葺きの面は、だんだん見えなくなり、それに代って、軒裏の斗組が複雑なリズムを見せてくる。

奈良時代に建てられた寺院の金堂の中では、
唐招提寺の金堂だけが創建当時から修復を重ねて現在に伝わっている。
戦禍や火災を免れたため、金堂内の仏像も奈良時代のものを拝むことができる。
執念の渡航を果たした鑑真和上の威光に守られているかのようだ。

この機会に名著の誉れ高い、井上靖「天平の甍」をもう一度読んでみた。
中学生以来の再読なので、てっきり主人公は鑑真だと思い込んでいたが、
中国の高僧を招聘しようと奔走した日本人留学僧が主人公の歴史小説だった。

印象的だったのは主人公の普照が中国へ渡航後に出会う業行という人物。
業行は中国へ渡り30年余、自らの才能の限界を悟り、
ただひたすらに本場の経典を筆写することに半生を費やしていた。

私の写したあの経典は日本の土を踏むと、自分で歩き出しますよ。私を棄ててどんどん方々へ歩いて行きますよ。多勢の僧侶があれを読み、あれを写し、あれを学ぶ。仏陀の心が、仏陀の教えが正しく弘まって行く。仏殿は建てられ、あらゆる行事は盛んになる。寺々の荘厳は様式を変え、供物の置き方一つも違ってくる。

しかし鑑真を伴った普照とともに帰国の途についた業行の乗った船は難破。
膨大な量の経典は業行自身とともに海の藻屑と消えてしまう。

もちろん業行は創作だが、同じ運命を辿った日本人が数多くいたことだろう。
私は読書好きだから、本場の名僧より経典の方が…と考えてしまう。

だが後の桓武天皇による奈良から京都への遷都は、
影響力を持ちすぎた仏教から逃れるという側面もあったようだから、
どうあっても歴史は変わらなかったのかもしれない。