中秋の名月を詠わない古今集。月が不吉な竹取物語。

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西行(1118~90年)は詠んだ中秋の名月の和歌。

日本ではいつ頃から中秋の名月を愛でていたのか?

古今和歌集」(905年)の秋の巻を開いてみて、あれ?

中秋の名月を詠った和歌が一首もない上に、

秋の巻・全145首のうち、月の歌はたったの7首だけ。

※歌番号…184,191~195,289,312

木の間より もりくる月の 影見れば

心づくしの 秋は来にけり

ちなみに私はよみ人しらずの一首(184)がスゴく好き。

心づくしの秋」になぜか食欲の秋を連想するから(笑)

というのはいったん置いといて、

もともと西行が生きた12世紀頃までは、

勅撰和歌集での月を題材にした和歌は多くはないんだ。

日本最古の物語「竹取物語」。

890年代に書かれたとされ、古今和歌集とほぼ同年代。

かぐや姫は月が主題ではない上に、

春の初めより、かぐや姫、月の面白う出でたるを見て、常よりももの思ひたるさまなり。ある人の『月の顔を見るは、忌むこと』と制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣きたまふ。

かぐや姫が月を眺めては悲しんでいるようだから、

「月を見ることは不吉なことだからやめなさい」

と制する人がいた、という記述がある。

もしかすると「月」は発音から「憑き」を連想させ、

何かに取り憑かれるような印象があったのかもしれない。

そういえば英語にも"moony"や"lunatic"といった

「月」と「狂気」の結びつけがあり、月は元来、怪しい。

だから古今集には月の和歌が少ないのかもしれない。

怪しさから美しさへのイメージの反転はどこで起きるのか?

やっぱり西行なんだろうな、と私は考えている。

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