久しぶりに歴史・文化探求の旅に出かけた。
伊勢参りと熊野詣がメインだったのだが熊野が過酷だった。
熊野古道を歩いてみたいなと思っていたが、
終わりの見えないゴツゴツの岩に恐怖して早々に断念。
神倉神社を参拝する際も同じ光景に遭遇したが、
まぁそんなに遠くはないだろうと油断していたら…。
登り切ったものの、数日経った今でも膝まわりの筋肉がおかしい。
神社への登り口の前に賽銭箱があったのは、
ここから先の道のりはヤバいぞ!という知らせだったのか。
その後、旅館の下駄箱で他の宿泊客の靴を見て気が付いたのだが、
熊野は登山靴で訪れるべき場所だったようだ。
いつも旅行前に歴史的背景等の予習はして行くが、
「映え」はいらん!と普通の観光ガイドを読まないのが原因。
平安時代に歴代の上皇が熊野に出かけているくらいだから、
平坦な道のりだろう、という思い込んでしまったわけよ。
調べてみると上皇は輿に乗って訪れていたようだが、
輿を担ぐ人の苦労はとんでもないものだっただろう。
また上皇の熊野詣の参拝費用は、沿道からも調達され、
周辺農民の負担が大きく、逃亡する農民も多かったという。
上皇の熱心な熊野詣は、民衆の苦しみの上に成り立っていたのだ。
いろいろな意味で熊野は苦難の地であると認識したのだった。
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