私の株式投資は、2000年春、いわゆるITバブルのピークに、
ソニーと富士通の単元未満株に投資したのがスタート。
両社の株価はそこから坂道を転がるように下落。
ビギナーズラックにも恵まれず、完膚なきまでに叩きのめされた。
お金儲けを目的にはじめたのに、ここまでコテンパンにされて、
どうして投げ出さずに続けることができたのか?
そう問われることが多々あり、うまく答えられた試しがなかった。
でも最近、文庫化を機に、國分功一郎「暇と退屈の倫理学」を、
3周目の読書をしていて、なんか急にピンときた部分があった。
私たちを何かに駆り立てる欲望を「対象」と「原因」に区別すると、
「対象」と「原因」を取り違えがちだという話(P47あたり)。
- 欲望の対象…何かをしたい、何かが欲しいと思っているその気持ちが向かう先のこと
- 欲望の原因…何かをしたい、何かが欲しいというその欲望を人の中に引き起こすもの
私は大学4年生の春に、母親からへそくりを渡されて、
「あなたの世代は年金もらえないから株式投資の勉強をしなさい」
というのがきっかけで株式投資をはじめている。
当初の欲望の対象はもちろん「お金」。でも欲望の原因は?
当時、株式投資とほぼ同時にはじめた就職活動でも完敗。
株価の下落よりも、こちらの方が人生の大きな挫折だった。
あの頃は後に、就職「超」氷河期と称されるようになり、
仕方がない社会情勢だったが、社会から不要と認定されたと思い、
「株式投資で世の中を見返してやる!」と妙に気合いが入っていたのだ。
ある種の「復讐心」のようなものが、欲望の原因となり、
徹底的に投資の勉強をする方向に私を駆り立てたのだと思う。
財務分析の勉強の果てに、税理士試験にまで突撃するというのは、
燃える復讐心によるものと考えるのが妥当ではないか。
私を株式投資へ駆り立てる欲望が変化するのは、また別の話。
ちなみに今では就職氷河期世代だったことを幸運に思っている。
- 就職氷河期の光と影(2001年3月卒の立場から) (14/10/01)
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