1920年のAIディストピア/カレル・チャペック「RUR」

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何で読んだか忘れてしまったが、人工知能の未来を考える上で、
カレル・チャペック(1890~1938)のSF作品が興味深い内容だという。

「ロボット“robot”」という言葉の起源となった作品、
戯曲「R.U.R.“Rossumovi univerzální roboti”(チェコ語)」を読んでみた。
(ちょうど昨年2020年が発表から100周年で新訳が発表されていた

作中でのロボットは、今の私たちがイメージするそれではなく、
人間と同じように臓器を持ち、血も通った人造人間のような作り。
ただし人類の労働力の肩代わりするためだけの存在で、魂も生殖機能は有さない。
ロボットの製作会社RURの代表取締役は自分たちの理想をこう語る。

「いわば値段というものがなくなるはず。必要な者だけ手に入れる。貧困もなくなる。そう、仕事がなくなる。ですがまったく仕事がなくなるわけではない。生きた機械がすべてを担うようになる。人間は自分が愛することだけをするのです。完全に近づくためだけに生きるのです。」

「初めは恐ろしいことになるでしょう。それは防ぎようがありません。ですが、そのあと、人間が人間に仕えることも、人間が物質に隷属することもなくなるでしょう。・・・仕事のことでしょっちゅう文句を言って、心を失うこともなくなるのです。」

やがて思い描いた通りの未来がやってくるのだが・・・、
というのは西洋の作品でおきまりの展開。※関連記事

ただ最後まで労働を手放さなかった人類がただ一人生き残るのだが、
この人物の台詞がとても印象的だ。

「非生産性こそが、人類最後の偉業となりつつあります。」

この作品から100年が経過しても、私たちの葛藤は変わらない。

誰かが変わってくれるなら、労働なしに好きなことをして暮らしたい。
でも人間らしさに労働は不可欠ではないのか? そもそも人間とは?

星新一の「声の網もそうだったが、過去のSF作品に、
現在・未来を考える上でのヒントが隠されていることがあるようだ。

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