静嘉堂文庫美術館の移転に思う

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静嘉堂文庫美術館が今年閉館となり、
展示ギャラリーが丸の内の明治生命館へと移される。

その沿革を追っていくと、
もともと神田駿河台の岩崎家自邸内に創設したものを、
1924年に世田谷区岡本へ移転して現在に至っている。

この移転について、はっきりとは書かれていないが、
関東大震災(1923年)を機に、被害の少なかった地で美術品を保存、
という意味合いの移転だったことが想像できる。

調べてみると、丸の内に移されるのは展示ギャラリーのみで、
幸い美術品の保管については今の場所で続けられるとのこと。

住宅事情も同じだが、関東大震災を機に都心から離れたはずが、
最近は利便性重視で埋立地の湾岸エリアのタワーマンションが人気。

こういった動きは過去の記憶が失われた証なんだろうなと。

そんなわけで失われてしまうかもしれない、
静嘉堂文庫美術館所蔵の曜変天目を鑑賞してきた。

手の届く範囲に全宇宙があり、
茶碗を手に取ることで銀河のひとつをすくい上げる。
それが茶道なのだと、勝手に解釈している私にとって、
手の中の宇宙を体現できそうな曜変天目に心惹かれる。

ニッポンの名茶碗100原寸大図鑑」でこんな遊びをするほど(笑)

ふと曜変天目を図書館のページ検索していたら、こんな本に出会った。

著者は美術館の学芸員らしい。
だからミステリー小説とはいえ、
物語に織り込まれた曜変天目に対する評価が興味深い。

たとえ現在の陶芸家が曜変天目を再現したとしても、
名声を獲得することにはならない、とする一節がある。

「曜変天目茶碗は宋代の中国でつくられていたけど、そこから連綿と受け継がれたわけではなく、歴史にも断絶がある。しかもたくさん制作されていたわけじゃなく、日本に三個しかなくて、いずれも目的を持ってつくられず、まったく偶然の産物でしかない。そんな曜変天目は、いわゆる有田焼や志野焼とかいう長年にわたって継承発展された技を守っている伝統工芸の世界においては、異質の存在なんだよ」

「伝統工芸の世界では、技術を受け継ぎつつ、新しく発展させることが重要だとされるから、曜変天目をつくったところで現代的な要素がなければ、単なる昔の再現にしかならない」

たしかに伝統工芸の発展より科学的関心の方に比重が置かれているかも。
なるほどなー、と感じるのだった。

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