感染症について学んでいると歴史が大きく動いた時、
その裏側にはパンデミックが隠れていることが多いようだ。
COVID-19はアメリカから中国へ覇権が移るきっかけとなるか?
シルクロード交易によるウイルスの伝播
シルクロードの交易を通じて、
西から東には天然痘やハシカ、東から西にはペストが伝播。
感染症に免疫がなかかったため、双方で大流行。
「漢は最盛期に人口が6000万人を超えていたとみられるが、シルクロード交易が盛んになってきた2~3世紀以後の天然痘やハシカの流行で、6世紀末ごろには4500万人程度にまで減少したとみられる。漢衰退の一因にもなった。ローマではマルクス・アウレリウス帝(121~180年)の時代に、ペストの流行で300万人以上が死亡し、流行はその後も断続的につづいた。」(石弘之「感染症の世界史」)
そして世界で初めてのペスト大流行は543年に起こる。
東ローマ帝国のユスティニアヌス帝自身も感染し、
首都コンスタンティノープルでは毎日5000人超の死者が出た。
モンゴル軍とともに欧州を襲う牛疫、ペスト
牛疫は多くの品種の牛で致死率70%以上の激しい毒性を持つ。
しかしモンゴルの高原地帯で飼育された「灰色牛」は抗体を持っていた。
13世紀にヨーロッパへの侵攻を繰り返したモンゴル軍は、
物資の輸送、食料として灰色牛を連れており、
牛疫に感染した灰色牛が通過する国々で、現地の牛を全滅させていった。
農耕に重要だった牛を失ったことで国力低下、モンゴルに征服される一因となる。
また14世紀にヨーロッパで猛威をふるったペストは、
1320~30年頃に元王朝下の中国で大流行したものが、
中央アジアからクリミア半島を経由して1347年にシチリア島に上陸したとされる。
ルネサンス・宗教改革とペスト
イタリア・ルネサンス初期を代表する文学作品である、
ボッカチオ(1313~1375)の「デカメロン」。
その設定はフィレンツェを襲ったペストから逃れるため、
森の館に引きこもった10人の男女が面白い話を語り合う、というものだ。
倫理や道徳を廃し、ひたすら現実を直視したマキャベリ(1469~1527)。
「君主論」は宗教・倫理的な観点から論じられた章は1つもない。
その背景にはペストの大流行は神に見捨てられた証という認識もあったようだ。
またペストによる危機的な状況下で、庶民が救いを求めて教会を訪ねても、
救われたければ贖宥状(免罪符)を買えと言う、欲にまみれた聖職者がいるのみ。
それがマルティン・ルター(1483~1546)の宗教改革へとつながってゆく。
このようにルネサンス期の宗教からの解放の前段にペストの大流行があった。
天然痘に滅ぼされたアステカ・インカ帝国
コロンブス(1451~1506)が到達したカリブ海のサントドミンゴ島。
到達時には島の人口は100万人だったと想定されているが、
1519年に天然痘が持ち込まれると40年でわずか数百人にまで激減。
このようにヨーロッパからもたらされた天然痘やハシカがアメリカ大陸で大流行。
アステカ・インカ帝国ともに人口が激減し、崩壊寸前であったため、
わずかな手勢を率いたコルテスやピサロにあっけなく滅ぼされてしまう。
「1500年当時の世界人口は約五億人と推定されている。このうちの約8000万人(4000万人から1億人まで各説がある)が南北の新大陸に住んでいたとみられる。それがコロンブスの到着後わずか50年で1000万人に激減してしまった。」(石弘之「感染症の世界史」)
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