髙橋拓児「日本料理の料理人は編集者である」

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味の素文化センター主催の「食の文化シンポジウム」。

木乃婦の髙橋拓児さんが登壇されるとのことで足を運んだ。

京都で髙橋さんの料理をいただいたことはないが、
我が家のおせち料理は、NHKで放送された髙橋さんのレシピで作るのだ。

日本語の文法から日本料理を読み解いたり、
フレンチと日本料理の料理人の定義の違いなど大変興味深かった。

料理人から見た日本語と英語の文法の違い

  • 私は鯛を造りに引く。
  • I make sashimi with sea bream.

日本語で主語の後に述語ではなく先に修飾語が入るのは日本料理に似ている。
自分がどんな調理をしたかより、何を調理したかが一番重要だから。

つまり料理人は対峙する自然に対し、いかにアプローチするかが常に問われている。

またここに料理を提供する対象者が加わると、
二通りの表現方法があり、

  • 私は○○様用に鯛を薄造りにする
  • 私は鯛を○○様用に薄造りにする

前者は客の特性によって食材と調理法を決定し(高齢だから噛みやすく薄造り)、
後者は食材は決まっており、特定の客のために調理(良い鯛が入ったので常連に)。

日本料理の料理人は食材に対しても、客に対しても受け身と言える。

だからカウンターの全員に同じ料理を出すのはフレンチに近い感覚。
調理する人と食べる人の意思疎通の強さが日本料理の特徴と言える。

日本料理の料理人は編集者である

これまで見てきたように食材や客との関係はもちろん、
調理道具である包丁も刃物鍛冶や包丁研ぎの職人により成り立っており、
日本料理において料理人が主体となる場面は少ないのかもしれない。

また食材、調理や器選びなど、料理に込められた背景について、
京都では茶道家、華道家の厳しい目が注がれる。

ゆえに料理人は様々な専門家集団の「編集者」と定義できるかもしれない。

比較として、フランスでは料理に対する誇りの高さからか、
料理人が料理以外の教養を身につけようと努力することは少ない。
よってフレンチのシェフは「アーティスト」に近い。

最近、日本料理の料理人にもアーティストに近い人が増えているが、
日本料理は伝統文化にお金を流す役目を担っている、という意識が大切だ。

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