百人一首せんべいを片手に、日本史の不思議に思いをはせる。

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私が好きなおせんべい屋「長岡京 小倉山荘」。

この店は百人一首をモチーフにした包装に特徴があり、
ウェブサイトは和歌のコラムが充実の内容で、
メールマガジンに登録すると宣伝の合間に下記の連載が届く。

最寄りのデパ地下では店舗がないため知らなかったが、
カルタ百人一首」なる新商品が出ていたので手に入れた。

百人一首の読み札を模した包装が用いられており、
表面に上の句が、裏面には下の句が記載されている。

毎晩食後に1,2枚つかんで、解説本とともに楽しむのがなんとなく風流。

しかし考えれば考えるほど、百人一首は日本史の不思議のかたまりだ。

百人一首は905年に編纂された古今和歌集以後の10の勅撰和歌集から、
100首の歌が選出された形になっており、千年近く前に詠まれた歌が、
今と同じ言葉で私たちが触れることができるのは奇跡
としか言いようがない。

百人一首と勅撰和歌集

さらに平安時代はその名とは異なり平和で安全ではなく、
唐に倣って導入した中央集権体制は奈良時代のうちに崩壊し、
地方は無政府状態で荒れ放題だった。

古今集の選者で日本語の成立に多大な貢献をした紀貫之が生きた時代は、
平将門や藤原純友が反乱を起こしていた時期とも重なる。

平安初期に坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命されて以降は、
朝廷は正規軍を有さず、それにも関わらず貴族社会は滅ぼされることもなく、
幸いにして中国大陸もゴタゴタで、海外から侵略されることもなかった。

このあたりの遠い記憶が昨今の自衛隊論議とつながっているかは不明だが、
中央政府に組織された軍も持たずに、他国から侵略されなかった平安時代。
この奇跡的な幸運がなければ、和歌はもちろん日本語も残らなかったはず。

そんな日本の不思議な幸運に感謝しつつ、百人一首のせんべいをかじるのだ。

百人一首という感情
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