リーマン・ショックから10年をふりかえる

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リーマン・ブラザーズが破綻した2008年9月からまもなく10年。

思いつくままこの10年間を簡単に振り返ってみた。

1年後には混乱が収束に向かっていた

当時は「100年に1度の経済危機」と称されたが、

1年経った頃には最悪期は過ぎたとの論調が現れ始め、

早くも過剰な財政出動や金融緩和に対する未来への懸念に関心を寄せていたり、

これからの経済学の取るべき道を探る動きが出ていた。

1929年の世界恐慌を描いた
ガルプレイス「大暴落1929」には、

「1929年の大暴落の際立った特徴は、最悪の事態が実は最悪でなく、さらに悪化し続けたことである。今日こそこれで終わりだと思われたことが、次の日には、あれは始まりに過ぎなかったのだと分かるのだった。」

という記述があったが、この時ほど深刻ではなく、

自分のメモ書きを振り返ってみても、大きな混乱は最初の半年間だったようだ。

ただし金融危機の発端となったサブプライムローン問題が、

金融危機以前の水準にまで収束したのは2015年頃のことだった。

産業構造の転換に成功したアメリカ

今振り返れば、金融危機からの反転で最も印象的だったのが、

アメリカ経済の中心が自動車産業や金融からITへ移ったことだろうか。

GoogleやAmazon等のIT企業の勢いがこれほどまでになるとは…。

GMやフォードのような製造業とは違い、幅広く雇用を創出する産業ではないため、

富の集中と格差の拡大をもたらし、今では非難の対象となることもしばしば。

ただ手にした富を
宇宙ビジネスへの投資に向ける動きもある。

太陽の衰えにより地球に住めなくなる時代に備えて、

宇宙を目指すことが人類の究極的な目標であることを考えると、

これも有意義な出来事として受け容れるべきかもしれない。

一方の日本は1997年のアジア通貨危機による韓国ウォン安以降、

当時の中心産業だった総合電機がサムスン電子等の韓国勢に押され、

その後とくに新たな中心産業と呼べるものは立ち上がっていない。

ただしアメリカとは違い製造業が残ったことで、格差はそれほどでもない。

個人的にも激動の10年?

リーマン・ブラザーズが破綻したとき、私はちょうど30歳。

100年に1度の激動ならば、より深く投資について学びたい!と、

翌年の春から仕事をほったらかして、大学院へ進んでしまう。

でも経済・金融の分野を席巻していたファイナンス理論を中心に、

学問は過去を必死に説明しているだけだと気が付き撃沈。。。

未来学が存在し、何か創造的なことができると勘違いしていたのだ。

そして破天荒な行動の代償として、給与収入で生きる道がなくなった。

ただこれを機会に消えた年収分を労働で得るのではなく、

株式配当や債券利息で埋め合わせすると割り切ることができた。

さらに道を踏み外したことが、妻との出会いにもつながっているので、

投資に振り回され、そして助けられるという奇妙な10年だった。

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