引き続き、只野真葛の「独考」(1817年成立)を読む。
前回は当時の「経済倫理の低さへの嘆き」をテーマに編集したが、
今日は真葛の考える「人生のタイミング」についてまとめてみる。
不運続きの工藤家
真葛の父が「赤蝦夷風説考」を記した工藤平助という著名人ということもあり、
裕福で幸運な人生を送ったような先入観を持っていたが…。
蝦夷地の開拓に積極的だった老中 田沼意次の失脚と共に工藤家の命運は右肩下がり。
火災により工藤家の屋敷が全焼、その後まもなく工藤家の跡取りだった長男が病死。
平助が亡くなる頃には工藤家は借金まみれになり、跡を継いだ次男もまもなく病死。
事実上、工藤家は断絶(親戚から養子をもらうが真葛は家を乗っ取られた気分)。
天地の拍子が人生を決め、仏教や儒教の教えは無力。
悪い生き方をしていた訳ではないのに、なぜ工藤家はこんなにも不運が続いたのか?
真葛は「天地の拍子」という考えに行き着く。
「天地の間に生出し人は、昼夜の数と、天地の拍子を本として、何事も是に合ことをゑりて用ひ、あはぬことにはかかはらぬ様にせば、一生おだやかなるべし。仏の教も聖の道も、共に人の作りたる一の法にして、おのづからなるものならず。動かぬものは、めぐる日月と、昼夜の数と、浮たる拍子なり。」
この世では時の流れ(昼夜の数)と天地の拍子が絶対的なものであり、
このリズムに合う生き方をした人が社会的に成功する。
天地の拍子を前に人が作った仏教や儒教の教えは無力である。
「聖の法にはたがへりとおもはるる人の、世に用ひらるるはおほく、正しきをつとむる人の、世に出がたき事なども、いかなる故ぞとうらめしく思て有しに、正しきと見ゆる人は、天地の拍子に必おくれ、宜しからぬふるまひの交るとみゆる人は、拍子をはづさぬ故なりけりと、おもひとられたりき。いかに引たつるやうにしても、世に出がたき人は、天地の拍子をはづす故なり。」
儒教の教え(聖の法)に縛られた人は、天地の拍子に遅れをとり、
世間の目も気にせず自由に振る舞う人には太刀打ちできないのだ。
儒教に縛られていては人生の成功はない!という考えは、
今では当然だが、当時としてはかなり超越した考え方だ。
たとえば磯田道史「天災から日本史を読みなおす」では、
江戸時代には津波から逃げる際に年長者を敬う儒教的な考えに縛られて、
足の遅い老人に合わせて避難したがために津波に飲み込まれた人や、
我が子を投げ捨てて老親を助けた人の姿を古文書から読み解いている。
そして真葛は自らの人生を振り返り、
「わが生い立ちしさまをかえりみれば、殊の外早過て、世人と連なりがたかりしなりけり。」
私は生まれてくるのが早すぎて、天地の拍子に合わなかったのよ。
と自らの不運を達観している。
現代版の「天地の拍子」に合った生き方は?
現在では真葛の生きた時代のような儒教の縛りは存在しないが、
「人生とは将来の目標や夢を持ち、それに向かって突き進むもの!」
というような現代版の呪縛のようなものがあるように思える。
世間で美徳とされるこの生き方は、
過去の延長線上から外れて思いきって動くことができず、
ときおり出会う偶然の幸運をつかみ損ねてしまうだろう。
夢や目標を固定せず、しなやかに生きていくことが、
現代版の「天地の拍子」に合った生き方ではないかと私は思う。
おまけ:只野真葛の調べ方
最初に真葛の生涯を描いた歴史小説を読み、
原文をかたわらに、研究書を読んでいくのがおすすめ。
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