福を求める欲を捨てよ/夢窓国師の幸福論

この記事は約2分で読めます。

仏教を学んだ足利直義(尊氏の弟)が「真の幸福とは何か?」と

禅僧・夢窓国師に教えを求めた問答を「夢中問答集」から編集。

仏の教えはなぜ幸福を求めることを抑えるのか?という直義の問いに、

福を求むる欲心をだに捨つれば、福分は自然に満足すべし。・・・福を求めずして、貧しかれとにはあらず。」(1話)

幸福を求めようとする欲を捨てれば、幸福は自然と満ち足りるもの。

でも欲を捨てて貧しく生きよ、と言ってるわけじゃないからね。

と夢窓はインドの長者の話を例にあげながら、直義を諭す。

しかし直義は、そうはいっても、幸福を求める心は捨てがたい。

いったい私たちはどう生きるべきなのか?と夢窓に問うと、

もし欲心を捨てむと思ふ志、福を願ふ心のごとく、懇切ならば、捨てがたしとはいふべからず。・・・もし人、世間・出世間の一切の欲心を直下に放下せば、本分の無尽蔵忽ちに開けて・・・自を利し他を利することきはまりなかるべし。とても欲心を発すすとならば、何ぞかやうの大欲をばおこさざるや。」(4話)

欲を捨てようと思う心が幸福を願う心と同じくらい強ければ捨てられる。

一切の欲を捨てれば、悟りの境地に達し、心は満たされるだろう。

同じ欲ならこの境地に至りたいという「大欲」を持つべきではないか?


夢窓国師の幸福論が説かれた1~5話を半年ぶりに読み返したけど、

なんか超越しすぎちゃってて、いまいちピンとこないのが正直なところ。

このさい現代風に超訳してしちゃえばいいんだ!と暴走してみる。

追い求めてしまうと、幸せはいつも少しだけ先にあって手が届かない。 
心を落ち着ければ、幸せがいつも身近にあることに気づくはずだ。

だからこそ欲を捨てよ。そうすることで自然と心が満たされるだろう。

ざっとこんなところかな。

清少納言が枕草子に描いた感覚と少し似ているように思えた。

夢中問答集 夢中問答集

(2000/08/09)

夢窓 国師

商品詳細を見る

おまけ

足利直義はこの絵の人だよ、と言われて驚くのは何年生まれまで?

tadayoshi

私は源頼朝の絵と習った世代(1978年生まれ)。

「いい国(1192年)つくろう鎌倉幕府」も違ってたらしいよ!

コメント

  1. とよぴ~ より:

    はい。源頼朝にしか見えません(笑)
    「奪い合えば足らぬ 分け合えば余る」こんな心境でしょうか
    欲張りはいつも物足りなそうな顔をしていますし強欲にはならずに「ほどほど」で抑えておくのが一番心地良いのかもしれませんね

  2. まろ@管理人 より:

    あいだみつをですね。
    本当に「ほどほど」が一番です。あんまり楽しいことがあると後が辛くなりますから。
    私たちの共通の話題に置き換えると、ワールドカップのアジア予選を突破しても十数年前ほどは喜べないように。