コンビニでコピーをとろうとしたら、前の人が忘れた20円が残ってた。
ラッキー☆ やっぱり私は運のよさが人とは違うのさ♪ なぜかノリノリ♪
たった20円なのに、なんでこんなにも幸せな気持ちになれるんだろう?
次の人へ幸せの押しつけ(笑)ってことで、私もコピーにお釣りを残してきた。
こんなとこからも、お金と幸せの関連性はよく分からないものがある。
でも、1人あたりのGDPと幸福度には正の相関関係あり、って論文があるらしい。
→"Economic Growth and Subjective Well-Being"
論文自体を読むよりも、これを絡めたベッカー教授のブログ記事が分かりやすい。
昨年末に民主党が発表した「新成長戦略~輝きある日本へ~」には、こんな一節。
「数値としての経済成長率や量的拡大のみを追い求める従来型の成長戦略とは一線を画した。生活者が本質的に求めているのは「幸福度」(well-being)の向上であり、それを支える経済・社会の活力である。こうした観点から、国民の「幸福度」を表す新たな指標を開発し、その向上に向けた取組を行う。」(P29)
お金と幸せについて、私自身もいろいろとつづっておいて、なんだけど、
人の幸せを何かの基準で測ってどうこうなんて、無粋で無意味じゃないかな。
コメント
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>次の人へ幸せの押しつけ(笑)ってことで、私もコピーにお釣りを残してきた。
まろさん本当にすごいですね。
その発想はこの現の喧騒の中で生きる人間にとっては普通はできませんよ。
ちょうど僕も日曜にスケート場のコインロッカーで100円の置き忘れと遭遇しましたが、僕が思ったのは
「落とした人は気の毒だな」
という感情でした。
自分のブログでいろいろと書いたりしたりしているのですが、お金であり、人生について考え込んでしまっている時期なので、ちょっとネガティブな発想になっているのかもしれません^^。
100円についてはあまりに妻が喜ぶので、後の処理は妻に任せました。
彼女の一時の幸せを奪うのもなんだかな~という感じもしまして。
(店員に渡しても所在不明のため、落とし主には少額の金銭は絶対に返らないというシステムも知っているというのもあり)
>お金と幸せについて、私自身もいろいろとつづっておいて、なんだけど、
人の幸せを何かの基準で測ってどうこうなんて、無粋で無意味じゃないかな。
仰るとおりですね。
幸せってそもそも実体がなさすぎます。
考えても考えても答えは出ません。
貧乏でも生き生きしていた学生時代と、お金を得ても将来を憂う現在では、どちらが幸せか判断尽きません。
それに関して僕が出した答えは、結局自らの幸せは自らで体感することはできないので、たくさんの人を幸せにして笑顔を見て、それで自分の幸せを得ることができればいいな~と考えています。
あ、やっとからんでくれる方がいた(笑) お久しぶりです。
幸せって本当にモヤモヤしたものですが、私は昔から1つだけ、これはたしかだろう、と思ってることがあります。
「身近な人の幸せを考えられる余裕があるときは、きっと自分も幸せ」
だから少なくとも奥さまの幸せを考えている武者修行中さんは、もうすでに幸せなんですよ。私が勝手に認定します♪(って言ってもそんなに説得力はないですが…)
人は自分自身を「私は幸せだ!」と認識するのが苦手なのかも…