道元「正法眼蔵」と枯山水をつなぐ

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枯山水の背景を追いかけたら、禅僧・夢窓国師の山水思想に行き着き、
禅の歴史をさかのぼったら、道元の山水一如の精神があらわれた。
そんな流れで道元が遺した大著「正法眼蔵」に手をつけてしまった。

まずは表題にひかれて「山水経」の章を読んでみた。

而今の山水は古仏の現成なり。ともに法位に住して、究尽の功徳を成ぜり。空劫已前の消息なるがゆえに、而今の活計なり。朕兆未萌の自己なるがゆえに、現成の透脱なり。

出だしのキーワード「而今の山水」については、
「而今」は「無限の過去の上に立ち、無限の未来をも含んだ今」を表し、
「山水」は「真の我」や「本来の自己」を表しているらしい。

むずかしくてよく分からないけど、境界線のあいまいさがおもしろい。

  • 過去・現在・未来が凝縮し、時を超越した感じ(而今)
  • 自然(山水)と自己が溶けあっているような言いまわし
  • 自己は主観・客観が生まれる以前(朕兆未萌)の存在と説く

この思想が枯山水庭園につながっているとするならば…。
時の流れも自己を忘れて無心になったときに、
山が山として、水が水としてありのままに心にうつり、
それが仏の道に通ずる(=庭の真の美しさが見える)、ってことかな。

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窪田慈雲
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コメント

  1. てすと より:

    てすと

  2. てすと より:

    てすとだよん