そうか。去年のように静かに桜を見上げることはできないんだね。
酔っぱらいと生ごみの狂宴が帰ってきてしまうのだ。。。
自粛ムードの中、静かに咲いた聖なる桜は、今年再び世俗に戻る。
今年は西行や梶井基次郎の桜への聖なるまなざしを紹介してきたけど、
娯楽のチャンピオンとしての花見と酒宴の歴史も追ってみた。
もともと花見は歌を詠んで杯を交わす、貴族の娯楽だったようだ。
その様子が伊勢物語の第82段に描かれている。
鷹狩りに出かけた親王一行が、桜の下で酒宴を始めてしまうという話。
この時、主人公(在原業平)が詠んだという和歌がかの有名な
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
その後、日本史に花見の話がこれといって見当たらない。
今の桜の約8割を占めるという「ソメイヨシノ」は幕末生まれだから。
桜は京都を出るとあまり目にすることができない花だったのかも。
花見を貴族から庶民へ繋いだのは、おそらく豊臣秀吉と徳川吉宗。
秀吉が1594年に数千人の武将を集めて吉野で開催した花見が、
貴族の娯楽から武士の娯楽へも広がった転換点と言えるだろう。
もっとも秀吉の時代は、桜の下でお茶を点ててたんだろうけど。
ちなみに秀吉は亡くなる2ヶ月前にも花見を開いている(醍醐の花見)。
花見が武士から庶民へ繋がれるのは、江戸8代将軍・吉宗の時代。
吉宗は鷹狩りの途中に立ち寄る街に桜を植えさせ(江戸緑化政策?)、
それが今も桜の名所である、隅田川沿い、飛鳥山、小金井。
こうした名所に茶屋の営業許可がおり、桜の季節に庶民が押し寄せ、
いろはかるたの「花より団子」の世界ができあがるんだ。
桜の樹のそばに屋台が準備され始めて、なんとなく興ざめ。
たくさん桜の樹が植わってる名所はダメなんだね。
私によく似て、群れから外れた桜はどこかにないかな。
自分だけの桜を見つけて毎年会いに行く、みたいな風流したいな。
主な参考文献
・井筒清次「桜の雑学事典」
・小川和佑「桜の文学史」
・佐藤俊樹「桜が創った日本-ソメイヨシノ起源の旅」
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