禅宗・曹洞宗の祖、道元は「正法眼蔵」のなかで、
「参禅は坐禅なり」
禅に参ずることは坐禅をすることだ!と宣言し、
一切の思想観念を捨て、無から座り直すことが坐禅だと説く。
直立二足歩行の歴史を否定?と捉えると過激な教えだけど、
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は砂漠生まれの宗教だから、
坐って熟考していたら、干からびて死んでしまう。
森林豊かなモンスーン地域の仏教ならではの感覚なのかも。
そういえば歩くことで脳が活性化という話をよく聞く。
でもたぶん欧米の研究がもとになっているのだろうから、
坐る文化の人を対象に研究すると違う発見があるかも。
また坐る文化だから庭園の作りにも違いが出てくるのかな。
禅寺の庭園は坐ったまま視線が水平に動いていく感じ。
こんなふうにパノラマモードで写真を取りたくなるような…
一方で西洋式の庭園は奥に深く、散策しながら眺める造りだ。
立ち上がって遠くを見るまなざしは遠近法にもつながる。
3D化した西洋画に対し、日本画が長らく2Dだったのは、
立ち上がった視線と座った視線の違いならではだろうか。
この空間感覚の差違はとても興味深く、
遠近法だと絵を観る人の立ち位置は固定されてしまうけど、
遠近感のない日本画はどこから観ても特に問題がない。
そしてこれはドラクエのフィールド画の感覚に近い。
先月からダイニングテーブルなしの想定外の生活が続き、
床でご飯を食べながら、坐る文化について考える日々なのだ。
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