リレー連載企画「本日のスープ~株式投資をめぐる三重奏~」。
m@さんからのご寄稿コラムです。
文化という言葉を辞書で引くとこのように説明されています。
人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア。
何かあった時のために貯蓄しておくというのは日本でも昔から行われていて、農村などでは数十人が集まって少しずつお金を持ち寄り、必要に応じて融資を行う地域での小さな金融の仕組みが存在していました。
明治時代に入ると日本の産業振興のために一般市民のお金を広く集めて実業へ融資する「銀行」が生まれます。以後国策として預金は日本全国隅々から集められ、日本の発展のために使われてきました。
日本がまだ貧しかった時代は金利も高く、預金をしておくことが将来の資産を生み出すモデルを生み出しました。そうした貯蓄文化が脈々と形づくられてきた一方で投資の文化と呼べるものは亜流であり続けたのではないでしょうか。
「貯蓄から投資へ」ずいぶん昔から叫ばれている言葉ですが、なかなか実現していません。投資に対する根強い不信感の裏側には前回rennyさんが指摘した「投資家へキチンと向き合う姿勢」が足りていないのではないか?と思わせる訴訟も起きています。
文化と呼ばれるようになるには長い年月が必要です。
個人型確定拠出年金の拡充が検討されている今、個人にとって投資が身近で、将来に向けた資産形成手段の一つとして普通に利用される文化が生まれる瞬間が来ようとしているのかもしれません。
日本文化研究家のまろさんへ質問です。
日本に投資を文化として根付かせるために何が必要だと思いますか?
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