「太平記」を読んでいて面白い人物と出会った。
佐々木道誉。足利尊氏、義詮を支えた足利幕府の立役者。
1340年、妙法院に泊まる延暦寺の山法師とのいさかいから、
妙法院を焼き払い、都を追放されることになる。
都落ちのさいには300騎の華やかな着飾った武者行列を従え、
道中の宿では、遊女を招き、大宴会を開き続けたという。
ちなみに太平記のこの一節に、
「殊に時を得て、栄耀人の目を驚しける佐々木佐渡判官入道々誉が一族若党共、例の婆娑羅に風流を尽くして…」
婆娑羅(バサラ)という言葉があらわれ、
当時、道誉はバサラであり風流と認識されていたようだ。
でも1336年に足利尊氏が定めた「建武式目」には、
一 倹約を行はるべき事
近日、婆左羅と号し、専ら過差を好み、綾羅、錦繍、精好、銀剣、風流、服飾、目を驚かさざるはなし。 すこぶる物狂いといふべきか。
バサラや過差(分不相応なぜいたく)の禁止をしている。
とくに咎められない道誉は、尊氏の信頼されていたのだろう。
1361年、ふたたび道誉の都落ちエピソードから。
当時は南北朝の戦乱期で、楠木正儀(正成の子)に攻められ、
自邸を後にする際、まるで客人を招くような準備をして去った。
接待用の畳を敷き、花瓶や香炉、茶釜など茶道の道具を整え、
さらには大量の酒と酒肴を用意し、接待用の僧侶を残していた。
「道誉が今度の振る舞ひ、情け深く風情ありと、感ぜぬ人もなかりけり。」
道誉の風流心のある対応に誰もが感銘を受けたという。
もちろんこの館を占領した楠木正儀も感銘を受けた一人。
やがて正儀は道誉に追われてこの館を去ることになるが、
焼き払うことをせず、秘蔵の鎧と刀を残していった。
殺伐とした戦乱の中で風流あふれるやり取りがあったのだ。
最後に1366年に道誉が催したバサラ尽くしの一節を。
政敵、斯波高経に一泡吹かせるために、
高経が将軍御所での花見の宴を開くまったく同じ日に、
大原山で都人の度肝を抜く華麗な大宴会を開催した。
「本堂の庭に十囲の花木四本あり。此下に一丈余りの鍮石の花瓶を鋳懸て、一双の華に作り成し、其交に両囲の香炉を両机に並べて、一斤の名香を一度に焚上たれば、香風四方に散じて、人皆浮香世界の中に在が如し。」
巨大な4本の桜に巨大な花瓶を鋳掛け、活け花に見立て、
本来は耳かきほどの量を使う名香を一斤(600g)も焚きあげた。
「花開き花落つる二十日、一城に人皆狂せるが如しと、牡丹妖艶の色を風せしも、誠にかくこそありつらめと思ひ知らるるばかりにて、見聞の諸人皆耳目をぞ驚かしける。」
太平記の著者は、
- 花開花落二十日、一城之人皆若狂(白楽天)
- 牡丹妖艶亂人心、一國如狂不惜金(王叡)
といった唐代の漢詩を引きながら、道誉の花見を絶賛している。
この時代は日本で貨幣経済が本格的に始まった頃にあたり、
理想的なお金の使い方を説いた古典が現れはじめる。
お金の使い方は稼ぎ方よりもむずかしい。
そしてバサラな使い方ができる人に誰もがあこがれる。
それはいつの時代も変わらぬことなのだ。。。
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