年末年始に吉川英治「三国志」を青空文庫で読んだ。
実は今まで三国志を読んだことがなかったのだ。
信長の野望か三国志かと言われれば、信長派だったし。
あの話ってここから来ているのか…
- 平将門の「首」の話は関羽の最期に似ている
- 三方ヶ原の戦いの空城計は諸葛亮が北伐時に披露
あと戦いの記述での兵数がいくらなんでも多すぎる。
10万人超の大編成があっという間に全滅して、
大将1人で命からがら逃げるシーンが多い(特に曹操)。
Wikipediaでは三国時代の中国大陸の人口は818万人…
日本史でも水増しはあるけど、ちょっとやりすぎ。。。
後半は弱小国を助けた天才、諸葛亮への讃歌が中心の物語。
私利私欲を捨て、弱きを助ける英雄って構図が意外。
こういったら失礼だけど、中国らしくない印象で新鮮だった。
コメント
当時の中国大陸にいた漢民族は、数え方で変わってくるでしょうけど、500万くらいだったそうですね。
その前は5000万人だったかな・・・ちょっと忘れました。
残った漢民族を一番多く集めたのが曹操で、次に孫権、残りを劉備。
内乱で人口が激減して、そこからさらに内戦を繰返す漢民族は、業の深い民族だなーと感心いたします。
ここまで激減しさらに殺しあった漢民族はもっと数を減らしたでしょうから、周辺の民族とそうとう混血したとも考えられます。
漢民族はその時に一旦滅んだと仮定すると、現在の漢民族は一体何者なのかと考えると、いろいろおもしろいかもしれません。
おーありがとうございます!
私ずっと不思議だったことがあって、かつて日本人が尊敬してやまなかった孔子や老子を生んだ中国はいつ滅んだのだろうと。中国史を大まかにとらえて明から清になったときかな、と思っていたのですが三国時代にすでに。。。
ただ見方によっては道徳心が薄い漢民族だったからこそ、その反動で儒教が誕生した、という考え方もできるかもですね。
アララ、どうも釈迦に説法になってしまったようで恥ずかしいです。
博識な方を前にボクの浅学を晒してしまいましたw
お付き合いくださりありがとうございます