古代の日本人は「音」にとても敏感だった。
漢字の音合わせ、なんてのは今でも続いているし、
長らく無文字社会だったため、
人が口から発する「音」に霊力が宿ると考えられていた。
そして神様にも「音」が関係してくる。
日本の神はホスト(主)ではなくゲスト(客)であることが特徴で、
では神の到来をどう感じていたかといえば「おとづれ」。
「おとづれ」とは「音連れ」のこと。神は「音」とともにやってくる。
そう知ったとき、気になるアイテムがある。
幣(ヌサ)。
ギザギザとした形はおそらく「雷」を表していて、
神をおとづれを演出する「神鳴り(カミナリ)」なんだ。
このたびは ぬさもとりあへず 手向山
紅葉の錦 神のまにまに
百人一首に残る菅原道真の和歌。
かつて都があった平城京から見て手向山は東のはて。
都の内と外を分ける境界は異世界への入口でもあった。
そんな場所に神をまねく「幣(ぬさ)」も持たずに来てしまったよ。
この歌にはこんな意味合いが込められているのかも。
最後に「幣」が「神」と関係あるとして「貨幣」とは一体?
古来、空にかかる「虹」は天地を結ぶ橋と考えられていた。
虹を渡って神や精霊が俗界に降りてくる。
そこに「市」をたてて交易を行う習慣があったとされる。
雷雨の後の晴天には虹がつきものだ。
ならば幣で雷を呼び、虹を渡って神が訪れる、ということかな。
そして経済活動を行い、貨幣がやりとりされる。
お金が神に近い存在か…日本は実に興味深い国だね。
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